A-LeroyのQueerなΨ難日記

Beauneへ行きたいA-のΨ難とかクィアなセクシャリティーとか

美術館の調べ♪ と私の回想

大切なかわいい後輩の難病が、ステロイド系の薬が効いてるようで、大事には至らずにすみそうだと聞いて本当に一安心です。 


彼は、「先輩(ありさ) の 美しい声がまた聞けるように頑張ります!」とメールをくれました。

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ところで、先日は pf.とsol. の指導者の コンサート♪ に行って参りました。

彼女には、わからないこと、難しいこと、そのまま 何でも 伝えられて、いつも傍らで「クスクス」と可愛く笑ってくれます。 女性としては外見も素敵だと思いますし(笑)  可愛らしく美人で、本当に自慢の先生です。
一つの夢も伝えることが出来ています。
私が非常に尊敬する方 ともそうなのですが、彼女とも 彼女の病気がなければ 出会えていませんでした。

その非常に尊敬する方は、 
病気になってことが良かった とはとても思えないけど、 病気になってなかったら 【貴方と出会えなかったしね、 本当に貴方、いろいろ大変だっただろうけど、あの時(夢を否定された時に死んでいてもおかしくなかったのに) よく生きていたね、私も本当に死ぬかと思ったけど生きてる】 ・・・」 と仰りました。その言葉はとても印象的です。
pf&sol. の彼女にも 、いつか、それと同じようなことを思って頂けるような立派な生徒になりたいです。


コンサートは、本当に素晴らしかったです。特に!! だーい好きなフランス組曲3番の実演が聞けて ものすごく嬉しかったです。
生で通しで聴くと、普段のレッスンで先生が仰ってる「パラパラ とした」「つなげない程度に切る」云々がよく感じられて勉強になります。
ところで、
彼女は私に、J.S.Bach 解釈と演奏の為に、チェンバロ を弾いてみれば アーティキュレーション の方針を固める助けになるはずだ、
と仰っております。
私は、かつては F.Lisztが大好きで、J.S.Bachやその時代の曲が好きでなく、
そして、チェンバロが好きではなく(いや、むしろ、音が地味で キンキンと金属音が目立つ、というネガティヴな感情を持っており) 
かつて  チェンバロへの転向を良い意味で勧めらた時、
【激怒しました】

とても後悔しております。チェンバロもやってみて、ピアノも続ければ良かったのです。今の日本、ピアノはどこでも習えるけれど、チェンバロは触ることすらなかなか出来ませんから。

高校時代に聞き、嫌悪感を持った話。
ある東京の大学 では、成績によって学部が振り分けられるという制度がありました。先輩は、物理がとても苦手でしたが、興味に素直に従い地球惑星物理学科を選びました。その大学では、進学振り分けの試験の成績が 物理> 地球惑星物理  らしいのです。 
物理学科との共通の試験で、とても難しい問題が出され、試験後に同級生との会話で、物理学科の学生から
「あれは、(優秀な) 物理学科しか解けないよー」とあからさまに他の学科を見下したコメントをしたようです。
それを聞いて、その大学に対して多少の嫌悪感を覚え、自分には絶対に合わない!と確信しました。 
私は、量子研と仲間たちに心から誇りを持っていますが、他者を見下すような間違ったプライドなら持たない方が良いと思っております。

また、こちらも東京の大学なのですが、進学振り分け の成績の為に、特定の一部の学科を馬鹿にすることが横行しているようです。
「やベー、勉強しないと、生命理工 になってしまうよ!」

学問への冒涜 としか思えません。
これを聞いて、私は激怒しました!

しかし、私は、かつて、チェンバロに対して自分が同じことを やってました…orz

テストの成績で、入学する難易度で、その学問の価値は決まるというのでしょうか?  
科学と芸術の全ての分野は、それぞれ 素晴らしいものを持っているはずであり、 それぞれに 甲乙つけがたい立派な方々がいるはずです。どんなものであれ、【諦めなければ いつかは必ず 夢は叶う、必ず成就する、それが難しいものであればあるほど、『諦めない』というだけで夢に近づく、だって、難しいものであればあるほど どんどん 諦めていく人々がいますから】
自分が興味を持ったものを 最大限の努力をして積極的に最後の最後まで決して諦めなければ、全ての個人が その取り組んだ分野で最大の幸せを得るはずです。

近年、やっとそれに気づけたのは、京都大学に進学し、いろんな 科目を自由に選択し、心から自由に それぞれの講義を楽しみ、自分の興味、勉強、研究を大切にしつつ他者のそれらを尊重することが自然にできるようになったからだと思います。

一応ですが、それらの大学を悪く言いたいわけではないです。
上記の東京にある大学出身の友達がいて、親友 といえる方もいます。
また、それらの大学の学生に国語や物理を教えて頂いたおかげで私は京都大学に入学できました。 大学院に関しても同じです。
素敵で優秀でしっかりとした友達が多い気がします。私とは非常に合わない、私はそれらの大学では間違いなく成長できなかった、幸せになれなかっただろう、それだけです。
ちょっと飛躍しますが、中国人個人は素敵な方々がいるのに、国家としては問題がある、というような・・・?

話が随分逸れましたが、
とにかく 自慢の先生の ステージを見届け、改めて思うことでした。