A-LeroyのQueerなΨ難日記

Beauneへ行きたいA-のΨ難とかクィアなセクシャリティーとか

ネウロの一場面と私の心境が一致!

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【かまってほしくてさぁ!!!!】

今、私がかなりハマっている「暗殺教室」の松井優征 のデビュー作「魔人探偵脳噛ネウロ 」より。
この 場面、ものすごく印象的で、私の心の奥の叫び そのもの。

こんなに印象的なのは、きっと私の過去と現在に共鳴するものがあるから。

昔を思い出した。
とにかく 友達欲しい、一人でいいから 修学旅行のグループ決めなんかの時に「カップル」になるような 親友が欲しい、
興味ないことでも、嫌なことでも、悪口でもなんでもいい、話に入りたい
【かまってほしくてさぁ!!!!】


私は、普段何も話せないのに、ただただ注意されてことに対して「はい」としか答えられなくなってたのに、
一年に二三回、先生が 「以前は本当に酷かったけど、最近、普通になった。大分マシになった。」って 最大限の褒め言葉を楽しみにしてた・・・


そして、最近。
研究のことじゃなくてもいい・・・どーでもいいような無駄話でも、意味わからない話でも、もう、なんでもいい!! 
【かまってほしくてさぁ!!】

他の学生には、先生の方からいろいろ雑談をしてくるのに、私には無くて、 なんだか 先生と距離を感じる。
雑談すら 自分から入っていかないと 話せないなんて。

久しぶりに私から (研究の)現状で 悩んでるところ、疑問に思うところを打ち上けたら、

「最近は、あれこれとすぐに聞きに来ないから、大分 成長したなぁーと評価してたところだから、(その評価が覆るから)これ以上 聞かない方がいいよ」みたいなこと言われて なんだか寂しかった。

(「そんなのおかしいよ!!」って信頼する先生がかばってくれたから大丈夫だけど。)

話は変わって、修士論文 の 製本にあたって、最終改訂版を 提出すること(「差し替え」と呼ぶ) が可能で、私は、2月の時点で修士論文の差し替えを強制されていた。
と言っても そればかりやってるわけにはいかないので、3月は それに専念して、4月以降は 「博士課程の研究」をやってました。

それで、その差し替えのタイムリミット数日前のこと。
そもそも、本来なら、修士論文というのは 修士課程での研究内容、基本的には 2月に発表会前に主査と副査3人に提出したもののはず、
誤字脱字といった明らかな間違い、見にくいと指摘されたグラフの改訂など以外では、 基本的には 、修士論文を 審査の後から変える、というのは あり得ないと思いますが…

最終改訂版を先生に提出する
《タイムリミット》はいつまでか? と聞いたら、
先生「 修士論文の差し替えは、事務とのことで、私は関係ない。事務次第だ・・・ 明日から出張だし、今、(添削すべき)論文三本抱えてるから ・・・(見る時間無いよ?) 」 
のようなことを仰り、正直呆気にとられました。
そして、かなり直前で申し訳ないと思いつつも (しつこいですが、タイムリミットすら直接は伝えられて無いんです、私が気になって 何気無い話から その差し替えのことを思い出して、同級生に聞いてみてわかったんです)
《一応》 主査と非常にお世話になっている副査の先生には 送ったんです、事務に提出する前に…、それがマナーだと思ってーー

でも、タイムリミットはせまってて、前日の深夜、いや明け方まで待って 何もなかったので 事務に提出したんです、だって その日の午前中、出来れば早朝提出でしたから。

そしたら、昼前になって メールが来て、それに対して 「せっかくのアドバイスを頂戴したのに、本当に残念ですが、タイムリミットが迫っていますので既に提出しました」
と返信したら 

一言。メールだから冷たくて鋭角に感じたのかもしれませんが、私が気にしすぎだと思うのですが、

「無駄な時間を使わせないように」って。
何故かこの一言にすごく へこみました。


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今、私はとても淋しい気分ですーー

( しつこいですが、本来、「差し替え」という制度があるわけではない、先生が 私に差し替えを強く要求(強制) したのです) 

かなり直前になってしまったのは私も申し訳なかったと思いますが、そもそも、この差し替え、タイムリミットは5月か6月くらい、とすごく大雑把に伝えられていて、特にその時期に何も言われなかったので もうそのままで良いのか?? と思って、
コンピューターの種々の設定、プログラムの問題、新しく出会った論文の理解、セミナー発表 など
その時々の【今の、目の前のことを】一生懸命 やってきました。
それをいつも評価してくれるのは、
違う人 というのが 淋しい。

でも、私は大丈夫、
それでも、ただ一人 私の傍らにいていつもどんな時も何を吐いても 支えてくださる 私の先生 は、いつも私を励まし 具体的なアドバイスをし、そして私を評価してくれます、気がつけば あの方がいらっしゃらなかったら修論や発表会は まとまらなかったはずです。

これも、ネウロより。
十代のころ、かなり似たような場面があったので 共感しつつ大爆笑してました、それもまあ素晴らしい友達がたくさんいる今だからこそ大爆笑なのですが、
友達いないし、あらゆることにコンプレックスでガチガチでかためられた 当時の私はそれなりにショックで弥子と同じように 
「さらにへこんでました」  (T . T)