”電子状態の気持ち”になりたい
ところで、ふと考えたことがあります。
最近、というより大学入ってから、このような話は 何人もの方々と話になったことがあります。
どんな話かというと、私の生き方についてです。
3回生の後期に、量子化学の授業の先生とこんな話になりました。
いつものように、授業後、化学の質問をしてました。
やり取りをしているうちに、
先生「まあ、そうは(反応が)行かないんですよ。波動関数の心、というか電子状態の気持ちが30才くらいになればわかってきますよ。」
私 「”電子状態の気持ち”??(゜Q。)??30才になれば?」
先生 「うんo(^-^)oそしたら、こんな反応はいきそう、とか読めてくるんだよ」
先生 「ええ、なりますよ(^^)!ちゃんとやれば<誰でも>なりますよ。」
私は、この時、30才まで化学を続けたい、続けよう!! と思いました。
”30” という数字に特に意味はないと思います。
私がだいたい20くらいだから、まあ10年くらい続けてたらかなりわかってくるんじゃない? みたいな意味だと思いますが。
今の、私の願いの一つは ”電子状態の気持ちになりたい”
です。
それと、”自由エネルギー”というものが、一体どんなもので、何が決めているのか、自分なりの答えを出したいです。
でも、以前からずっと続けている、ピアノ音楽のほうも、もちろん諦めてません。
Scienceの研究がダメなら、次は音大を目指しますし、 Scienceの研究をしばらく続けるとしても、音楽の勉強は絶対に続け、遠い遠い将来、でも私が生きているうちに、
コンサートを開き、自分が完全に納得した演奏、なおかつたくさんの人に感動を与えられるような演奏を出来たら・・・・と思います。 これは、私の最終到達目標かもしれません。
言葉は違いますが、「30才までがいろんな意味で人生の絶頂期。30過ぎたら、もう結構な年だよね。あとは老けるだけ・・・・」 のようなことを私におっしゃる方々が幾人もいました。私は決してそう思いません!!!!
私は、30才まで量子化学を続けたら、電子状態の本質がわかる、自由エネルギーのこともわかるかもしれない、
若いうちから輝かしい成果を残す天才、秀才もいる。
でも、才能も全くない劣等生の私は、大多数の人よりも遅れている私は、
「私は、所詮この程度・・・・」といって、時間経過をなげくのみだろうか。 少しでも、先にあげたような人に近づくために、努力を続け、時間経過に従う自分の成長を喜び、現状の良さを見つけ、未来に期待し(30才になったら電子状態の気持ちになれるなんて、すごく素敵じゃない!世の人は言うけれど「30才もなったらもう結構な老け顔だよね」etc)、生きるほうが幸せに生きていけると、私は思います。
話は過去に飛びますが、中学1年のとき、ある教室のピアノ診断で私は
「どうしようもない生徒」 と烙印を押されました。中学2年の時、「ピアニストになるのは絶対、無理」と宣告されました。あの日、夜まで泣きつづけ、次のレッスンに行くのを本当に迷いました。それでも、行きました。ここで辞めたら、もっともっと”ピアニスト”から遠ざかるじゃないか、今は誰も認めなくても、誰がなんと言おうと、ほんの少しでも”憧れのピアニストの素晴らしい演奏”に自分の演奏を近づけるために。
中学1年の時、小3の弾く曲からやり直しました。
もう、プライドなんて全て捨てました。
ずっとずっと劣等感に苦しみ、自分を <秀才、天才> と比べてました。
確かにピアノ音楽は好きだったけど、それ以上に、「音大に入って、評価されて、一流のピアニストになって、ピアノ診断の先生、ピアノの先生を見返したい!」というのが、音楽の勉強のモチベーションになっていた気がします(。。;)
京都大学理学部に入学し、Scienceが、理学部の先生方が、 私をやっと解放してくれました。
学業の楽しみ、喜びを、彼らは教えてくれたのです。これは、Scienceであれ音楽であれ、他の分野であれ、普遍性を持つものです。
この年になると、周りは
恋愛、結婚だ、就職だ、経済的安定性だの、きわめて世俗的な話が私にも持ち掛けられることが増えてきました。
確かに、最低限、生きていくのに必要なことはあるでしょう。
ピアノを弾き、量子化学の勉強をするだけでは、飢えて死ぬでしょう。
でも、今の私は、自分でも不思議なくらい、出世欲etc いわゆる世俗的なものとは Another World にいるようです。
私は、スタインウェイの良質なピアノと、ごく普通の机とパソコンがあり、あとは最低限の生活設備がある、質素な部屋、だけどちょっとだけ天井の高くて開放感があり、ピアノの音が美しく響くような部屋に住み、 それから、どんなことでもお互い遠慮なく話ができ、お互いが個性を尊重しあう、気のおけない仲間達がいる。 これが<私のささやかな将来の夢>であり、<私の幸せ>。歴史に名を残すような一流のピアニストにならなくてもいい。一流の化学者になりたいわけでは決してない。先に話した<先生方>を見返さなくてもいい。高級アンティークの家具が揃った豪邸に住みたいとも思わない。世界には、ホームレスの方々がたくさんいて、そういった事情を考えたら、このようなことだって、十分に贅沢だと言われてしまうかもしれません。ちょっとお金に余裕があれば、その仲間と京懐石にいく等、贅沢ができ、楽しみは増えますが、・・・・・そのために、自分を曲げるつもりは毛頭ないのです。
「自分が自分でいられる」
これこそが、私の幸せなのです。
きわめて幸福なことに、自分の能力以外には不自由してないので、あとは努力をするのみです!
わからないことがたくさんあって、でも、勉強の効率は非常に悪くて、同級生達よりもずっとずっと研究室に関連する勉強も遅れていて、やることみんな遅くて・・・ だけどだけど、絶対投げだしません!
だって、私には、量子化学研究室があるから。研究室には、素晴らしい先生、先輩方、友達がいて、、勉強に最適な環境が整い、研究室外にも私を応援して下さる先生、友達がいて、ちゃんと家があって、ピアノもあり、(今の私の持つピアノは”お気に入りのスタインウェイ”ではないけど)、勉強机と教科書があるから。アルバイト先では、”お金”だけでなく、精神的な満足感を与えてくれるような素晴らしい店長がいらっしゃるから。(ぐろっと店長は、”私の京都の父親”です) 横浜には母がいて、幸せなことに、母がちゃんと働いているから、今のところ、私は、お金の心配なく学業に打ち込めるから。
冗漫な文章をここまで読んで下さり、ありがとうございました。
どうか、これからも応援よろしくお願いいたしますm(__)m
嶋田ありさ
量子化学研究室・ 新B4