A-LeroyのQueerなΨ難日記

Beauneへ行きたいA-のΨ難とかクィアなセクシャリティーとか

アマデウス

友人が、映画「アマデウス」のDVDを貸して下さいました。

内容は、作曲家ヴォルフガング・アマデウスモーツァルトの伝記物。

同時代の宮廷音楽家で作曲家のアントニオ・サリエリが、晩年、自殺を図り精神病院へ送られるところから物語はスタートする。

晩年のサリエリが、神父に懺悔する(回想しながら語る) 形式で物語は進んでいく。

子ども時代からモーツァルトに憧れ続けて、作曲家を志し、親の不理解・反対にも関わらず 勉強を続け、ついにウィーンの宮廷音楽家になったサリエリ。平和な生活を送っていた。

ところが、サリエリの生活は一変する。

モーツァルトと出会ってから。

モーツァルトの傲慢な性格、自信過剰なところ、女性に対して非常にだらしないところ等を気に入らないと思いつつも、音楽の素晴らしさに惹かれてしまう。

モーツァルトに、自分の〈宮廷音楽家〉という職も脅かされてしまう、実力の差をわかりつつも認めたくない、悔しい、だけど、でも、知りたい、どうしたらあんなに素晴らしい曲が書けるのかー ーーー?

「お願い、神様、一曲でいいから私もモーツァルトのように素晴らしい曲が書けるようにして下さい、神様、お願いしますー・・・」

ハープシコードと五線譜の前で夜中祈るサリエリ

オペラハウスで、モーツァルトの素晴らしい公演を見守るサリエリ

モーツァルトの譜面をじっと見つめ、涙ぐむサリエリ

彼のその、今にも涙があふれそうな潤んだ〈瞳〉、天才モーツァルトへの感動、憧れ、羨望等が複雑に入りまじったような気持ちで見つめる〈瞳〉は、

私が素晴らしいピアニストの演奏を聴いている時のものと同じ。

かつて〈どうしようもない生徒〉といわれた私が、同世代の〈優秀な生徒〉を見つめるものと同じ。

輪読や演習で、難しい内容を見事に解説する優秀な同級生の発表をただ聞くことしか出来なかった時のものと同じ。

どうして、どうして??"自由エネルギーのこころ""電子状態の気持ち"を知りたいと思いつつも、簡単な演習問題、基本的な計算を実行することにも不自由な自分に対して、学部生には難しいという論文を理解する同級生たちー

サリエリのそんな瞳を見ていたら、非常に共感し、切なくなって涙が溢れ、声を出して泣いてしまいました。

最後に、サリエリが病気で倒れたモーツァルトを助け、素直に「貴方は最高に素晴らしい作曲家だ」と伝える場面、レクイエムを共同作業で譜面にしてる時に、

モーツァルトが「(体調が悪いので)休みたい。寝てる間傍にいてくれるか?」サリエリが「もちろん」 と答える場面が感動した。

この映画の世界にいたら、私はサリエリだろうな・・・

と思えた。

でも、私なら、モーツァルトに憧れ続け、神様に祈る間に、ほんの少しでもモーツァルトの能力に近づくために自分の勉強をします。

潔く敗北を認め、「どうしたらその様に素晴らしい作曲ができるのでしょうか?どのような勉強をしたらいいですか?どうか、アドバイスを。」と、プライドをすて頭を下げ彼から学ぼうとするだろう。

天才は確かに素晴らしい。モーツァルトの音楽がサリエリのものより素晴らしいのは仕方ない。

〈作曲家〉としてはモーツァルトが格段に上。

でも、 健気に努力する姿、宮廷音楽家として貴族たちや音楽家を志す若手に対する教育を精力的にしたことは、サリエリの、モーツァルトにはない素晴らしい点だ。

私は、〈神様に祈る〉間に勉強しよう。他の秀才たちよりうんと効率が悪くても、

天才が20歳で成し遂げることを、数十年努力を続けて晩年になって少しでもそれに近づけるのなら、

学問は、一部の天才・秀才 だけのためのものじゃない、好きになって愛して、感動して、疑問をもって、高い目標をもって最大限の努力をして打ち込むことで、その人が幸せなら それは素晴らしいこと。

そして、全ての生徒がそのようなことを思えるような学校、学業で生徒が幸せになれる学校が本当に〈良い学校〉ではないか、

入学試験が難しい、優秀な生徒があつめられたという学校ではなく、と思うのです。

そして、きわめて幸いなことに、私はそのような恵まれた環境の中にいるようです。

話が大分脱線しましたが、 とにかく「アマデウス」とっても良い映画なのでぜひ見てみて下さいね\(^-^*)♪

内容と全然関係無いけど、横浜みなとみらいの風景

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