A-LeroyのQueerなΨ難日記

Beauneへ行きたいA-のΨ難とかクィアなセクシャリティーとか

加古隆の青蓮院コンサート♫

加古隆のデビュー40th.@青蓮院へ行ってきました♫

加古隆大ファンの親しい親戚が、私のために、ファンクラブ会員の特権を使って最前列の席のチケットをとってくださりました*\(^o^)/*

ピアノの蓋のあいた方向で、しかも最前列なんて、この上なく素晴らしい位置です✨✨

このコンサートは、青蓮院のお堂で開催、ということに加えてさらにすごく珍しいハイライトがありました。(最大のハイライトは、40周年を迎えて、今尚、向上し続ける偉大なる加古隆自身であることは、言うまでもないが)

というのは、青蓮院で92年前からずっと眠っていて、時の経過によって痛み劣化したまま眠っていたピアノが、見事にリフォームされ、蘇ったのです。

このコンサートは、そのピアノの”復活祭”

一目みて、本当にピカピカで綺麗で、まるで新品のようでした。

同じ加古隆の演奏で、ベーゼンドルファーと比較すると、

そのピアノの音色は、カラっと乾いた感じで硬く端切れの良く、やや重厚なスタイル、という感じでした。

彼の”ポエジー” 大好きな曲で、もう何回も、それも色んなバージョンで聴いたことがあったのですが、

ピアノに合わせてか、すごく重厚に硬く弾いていて、それがまた新鮮で、含みのあるものとなってました。

テンペストは、文字通り激しい曲で、このピアノに似合っていたと思います。

いつも思うのですが、

”愛のテーマ”~包み込むように温かく優しい~

は、始まりのフレーズが、

本当に技術的には簡単なところなのですが、

まさに美しく歌いあげてました💎

余談ですが、以前、少しだけですが、彼と直接お話しし、握手をしました。

まさに、”包み込むように温かく優しい”手でした。人格が、反映されたようなー✨✨

いや、他のすべての曲に関しても思うのですが、

彼は、単音のメロディを右手だけで弾く、

始まりのなんでもないような、単純な左の伴奏

その一つ一つの音が、

まとまりとなったフレーズが、

本当に素晴らしいのです。

私のピアノの先生によれば、

そのようなピアニストが、最も偉大で、名前を残す、

とのことです。

私が、例えば、J.S.Bachの曲を弾いてるとしましょう。

曲全体の譜読み(アーティキュレーションなどの解釈)は終わってて、全体的に無難にスラスラと弾けるような状態までするのは、時間をたっぷりかけて努力して諦めなければ私ですら、ある程度は出来ます。でも、何かが、ダメで凡庸な演奏なのです。エチュードを練習するようにやってては絶対に乗り越えられないのです。

J.S.Bachのテーマを片手で何度練習しても、しても、何度も歌ってみたりしても、

こればかりは、一人ではどうにもならないです。先生は、いつもいいアドバイスを下さって、いい表現で伝えて下さりますが、これが、最も努力でどうにもならなりにくい難しいところだと思います。いや、私は、遠い将来まで頑張って必ず努力でなんとかします!

超絶技巧練習曲や、ラ・カンパネラをノーミスで、それなりに上手く弾く、

これもピアニストとして素晴らしいでしょう。 でも、これは、ある程度の大きい手と、膨大な練習、適切な指導者である程度なんとかなります、技術的な側面が、大きいですから。

そういえば、彼は、最後の挨拶でこんなことを述べてました。

私は、40年前にパリで、フリージャズピアニストとしてデビューして、いろいろとスタイルは変えてきましたが、ずっと大好きな音楽をやってこれてとても幸せです。これは、音楽家仲間、・・・何よりも、ここにいる皆様、聴衆のおかげです。

→本当に羨ましい。

私もそうなりたい。 好きなことで、しかもその世界で偉大であるなんて!自分の無能さに嘆くことなく、深い挫折を味わいトラウマとなることなく、自由に素晴らしい仕事をし続け、さらに、努力し、向上し続けるのです。

★私も、いつまで出来るか分かりませんが、ー・・・これからもよろしくお願いします。

→この言葉に関して、「何処か体調が、悪いのかも」

と非常にネガティブに捉えた方が、いましたが、

私としては、数千年クラスの大木、青蓮院の長い歴史、自分より年上なのに今だ若々しいピアノを前に、自分自身の儚さをふと自覚したと解釈してます。

雄大な自然を前にすると、何となく自分の儚さを自覚し、ちょっと寂しいというか、切なくなることってありますよね!?

写真はまた、追ってUPします(*^^*)

嶋田ありさ

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