A-LeroyのQueerなΨ難日記

Beauneへ行きたいA-のΨ難とかクィアなセクシャリティーとか

学業による幸せと私の再確認

こんにちは。

私は、というと、相変わらず、研究は前途多難で、決してうまくいってませんし、なんらかの成果が出そう、という兆候すら見えません…>_<…

ただ、誰がなんと言おうと、やり続けるしか、ありとあらゆること、量子研で今の私が出来ること、すべてをやらなければ、研究の先輩が提案したような(詳しくは、3,4回前の日記)次の進路なんて無い!と思い、日々、手を動かしてます。

具体的には、調和振動子9個の系を、A:3,B:6に分けて、量子Q個の分配の仕方(=状態数) その状態数の増加減少傾向を、微分係数を求めるなどして見ております。

ミクロカノニカルアンサンブルで、状態数→→・・・温度&エントロピーの定義式登場までの一連の流れを、先ずは、「きっとこの考え方は、集団をうまく評価するにもっともなんだろう。」と、認めて、その流れを具体的に計算しているのです。 いろいろと、計算しているうちに、なにか“インスピレーション💡” が訪れることを信じてー・・・

話は変わりますが、 今年のイグノーベル賞ノーベル賞を少しチェックしました。 イグノーベル賞は、本当に「楽しいから、面白いから、研究をしている!」という、”学問に打ち込む本来の姿”が現れていて、 論文のインパクトファクターとか、地位・名声とか利権があまり関わらない、現存の数少ない賞として、私はとても好きな賞です。

一方、ノーベル賞にかんしては、政治的なもの、推薦人とのコネ、利権、地位、名誉などいろいろな、”不純なもの”が絡まっていることも多い気がしてます。 でも、それが一番強いのは、平和賞でしょう。 一番大切な、一番全うであるべき平和賞が、ノルウェー側の政治的都合などに偏っていて、 実際、受賞が疑問視??される人が一番多いのは残念なのですが・・・

今年は、

ノーベル平和賞化学兵器禁止機関(OPCW)

が選ばれましたね。

彼らの受賞の是非は、私にはとても論じるほどの現代社会の教養はありません。

そして、ノーベル賞候補として、パキスタンのマララさんがあがってましたね。

私は、普段、「学業に打ち込むことで、それが生き甲斐となり、すべての学生と一緒に研究をしていく教員が幸せになれたら、学校としては素晴らしいのだ。 学問は、秀才&天才のためだけのものでは無い。勉強しようとする、今はどん底でも努力する気のあるすべての人のためのものだ!」

「学業は、大変なこと、きついこともあるけど、

基本、楽しく♪」

というのがモットーです。

頭の片隅では分かってたけど、

人間らしい最低限の生活を送るために、

まともな人間らしい考えを持ちまともな行動をするために、

教育が必要なんだ!! 学業で幸せとか、感受性を豊かに、楽しく♪とか、

そういう呑気な平和ボケした状況では無い世界が未だに、今まさにこの地球上にあるなんてー・・・ショックでした>* ))))><

特に、タリバン政権下では、女性への差別が著しいようで、少女が学校に通ってるだけで、命を狙われるようです。(私も女性なので、しかも、京大に通う学生として、かつての戦前日本の教育における性差別とか考えると、この件には、なおさら敏感なようです)

多くの研究者、教育者、学生が無差別殺人をされているようで、恐ろしくて、悲しくて、切なくなりました。

彼女のスピーチで、特に印象的だったのは、

加害者側(彼女を銃撃した兵士を代表に、タリバン側) にこそ、教育が必要なんだ! 教育を受けて、ぜんあくの判断が出来るようになって、人間らしいまともな考えが持てれば、そんな惨禍は起こらないはずだ。

というような言葉です。

被害者側の悲惨な状況とその改善を訴えるスピーチは、よくあると思いますが、

半殺しにされて、ものすごいトラウマを抱えて、 それでも、加害者側のことを考えることが出来るのは、本当に強いと思います。

★罪を憎むべきで、人を憎むべきではない

と言いますが、やはり、自分が酷い被害者となると、一般的にはどうしても、その人を憎んでしまうでしょう。

だから、こんな”教育が、まともな人間社会であるために必要なんだ!“

という状況にあり、命がけで自分の主張をし、勉強を続ける人々がいるのだから、

偏見差別、恐怖、強制などから無縁に、自由に、自分の研究テーマを追究することを許し、しかも、それを応援して下さるたくさんの友達がいるのだから、私は、修論の不安くらいで諦めてはいけない、最後の最後まで、出来る状況が続く限り、今の研究を絶対に続けよう!

と再確認したのです。

迫り来るセミナー発表は、率直に、ものすごくプレッシャーで緊張もします。 でも、有意義な結果が無くても、

今やってること、これからやる予定のこと、自分の解明したいこと、素直に発表したいと思います。

私のような、研究が不自由で、厳しい状況にある人間が、いつの日か、修論発表会のステージに立ち、

いろいろ大変だったけど、何も研究計画なんてものも、参考論文も無かったけど、修論のテーマとしては重すぎる、修論にならないとも言われたけど、

なんとか修論発表会で発表出来るところまで到達したよ、博士課程ではこんなこと、分かりたい、 修論だってこうしてなんとかなったんだから、後期課程だって、この研究続けて、絶対に博論書いて公聴会に臨んで、

笑顔で、

「みなさん、ご静聴ありがとうございました(*^^*)! 私は、量子研で、自由エネルギーの研究が出来て、本当に幸せでした。 そして、これからも、自由エネルギーの本質をつかむまで、絶対に諦めないで研究を続けます。

諦めなければ、夢は叶うし、自分の打ち込むことで最高に幸せになれるのです。

と堂々と言えますように✨✨

嶋田ありさ

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