A-LeroyのQueerなΨ難日記

Beauneへ行きたいA-のΨ難とかクィアなセクシャリティーとか

J.S.BachとF.F.Chopin

ちょっと今日は、ちょっときつい言い方、嫌味というか多少の暴論?を吐くことをお許し下さい。

まず大前提として、

私は、J.S.Bach が大好きでとても興味を持ってます。

嫌いな聴音も、時には嫌になるEtudeも、すべてJ.S.Bachのより良い演奏の為だと思ってやっております。

いつか、フーガの技法へたどり着けるように。

私のpf&solの先生も、「イギリス組曲のどれかは、発表会の曲の候補に良いですね。」

と、<彼女から>勧められております。私が、「発表会では、イギリス組曲が弾きたい!」と言った訳ではありません。

それなのに、母は、親のエゴを優先して、私にものすごく強引にF.F.Chopinのなんらかの有名曲、特に「黒鍵のエチュード」をある発表会で弾くようにいうのです。

私だって、好きですよ、F.F.Chopinのエチュード。 でもね、でもね、J.S.Bachはちがうのです、私にとって唯一無二なる存在なのです。

それに比べて、F.F.Chopinは良い作曲家の One of Them!

今、私は、統計物理学が主な学業でして、ピアノを勉強する時間は、ものすごく限られてるのです。

特に、今年はM2という修士論文がかかってる大事な忙しい時期で、本当にピアノの時間がさらに取れなくなるのです。

私が天才ピアニストなら、リクエストに応えつつ、自分の弾きたいJ.S.Bachの曲もひきますがー・・・。

母は、どうやら、「うちの娘は黒鍵が弾ける!」とかなり自慢気なようなのです。 ちょっと私には、よくわからない~(・・?))

「一般Peopleには、ピアノ曲といえば、Chopin。 とにかく、Chopinの有名

曲を一曲は弾いてくれ。」といいますが、どうして、今更、世間体とか一般的とかに合わせないといけないのでしょうか? 私は、「世間体」というものが嫌いです。

周りに迷惑をかけないように周りを見て傍若無人な行為はしない、

周りの人に対してマナーを守る、

というのとは全く別次元のことです。

私は、一般レベルの学業能力を与えられずに才能0で生まれ、ただ唯一、「諦めずに努力するという才能」だけを持って生まれたようです。どんなに「ダメだ」と言われて自分の劣等感に苦しみながらも、諦めずに、いつか「優秀な生徒」に近づけると信じて頑張っている人間です。 いや、それどころか、私には、世間の当たり前が、「当たり前ではない」のです。「恋愛」という概念、「自由エネルギー」に代表されるように。 私が、一般的常識を備え付けられて生まれたというなら、その恩恵を享受してますから、「世間の一般的」に合わせるのも普通でしょう。

でも、私は、それがない為に散々孤独感や、「何故自分にだけわからないんだ!」という何とも表し難い切なさを感じてきました。

なんで、今更、「一般的」に合わせる必要があるのでしょうか??

だいたい、私は、保守的なのが好きでありません。

私は、イギリス組曲がそれほどマイナーでつまらない曲だとは全く思いませんが、もしそんなに珍しい曲ならば、むしろ、新しい曲に出会える喜びを聴衆は享受するはずです。

そういう一方で、ぐろっとで接客をしていて、店主やお客様<親である大人たち>が、自分の娘、息子自慢を嬉しそうにする様子を見て、

私は心の中で悲しくなりました。

何故なら、私の母は、このような親として誇らしく楽しい体験が出来て無いはずだから。

私は、親孝行と言えるようなことを何もしてきていない。

私は、昔からずっと劣等生で、賞をとるとか、そんなのとは無縁でしたから。

学校でも、イジメで不登校、また、そうでない時も子供の頃は、あまり友達がいなくて悩み、「課外活動なんかのグループ決めの日」の前日からプレッシャーで体調不良、精神的に不安定になり学校をよく休んでました。さらに学業では、夢を否定され、劣等感に苦しみ精神的に不安定で泣いてばかりでしたから。

私が、小林愛実みたいな若いうちから活躍する天才ピアニストだったら、親はどんなに誇らしく幸せなんだろうかー・・・…>_<…

私は、自由エネルギーがわからない、統計物理学の基本原理すら受け入れられない、物理も音楽も不自由なただの学生です。ただ、いつも、支えてくださる友達や先生に感謝し、最大限の努力を続けてます。

ありさの京都の父」を名乗るぐろっとの店主は、「娘が、23歳まで元気で、明るく幸せに暮らしていたら、それだけで親は、嬉しいものだよ。

ありさは、ちゃんと夢をしっかり持っていて、学校に通って、努力家で、友達もたくさんいて、もちろん、人間的な行動をして幸せに暮らしてるんだから、親としてそれ以上に何を求めるのだろうか? 世間には、障害を持って生まれて、一生親の介護が必要だったり、病気でずっと病院暮らしだったり、親より早く亡くなってしまう子供たちがたくさんいるのだから。」と仰るのですが。

もちろん、母のおかげで、今の幸せな私がいて、母のおかげで今の生活があり、もうしばらく親の世話になるのは、わかっております。

これは、 S=kln Wより自明なことです。

でも、「黒鍵をお願いだから、弾いてくれ。遺言にするよ。もし弾かなかったら一生後悔するよ。天国で・・」云々は、言い過ぎではないか。そもそも、私は死後の天国も地獄も信じませんが。この世のなかに、これらはあると思ってます。

「とにかく、早く自立せよ。ありさが、自由エネルギーだろうが、J.S.Bachだろうが、ワインや日本酒だろうが、何の勉強に打ち込もうが構わない。別に親のすねをかじらないなら、迷惑かけないなら、その辺の浮浪者になっても構わない。」というが、

それならば、まだ先は長いが、

J.S.Bachに打ち込むのが、私の自立に助けになると思う。

将来、親や友人の死を経験する時、夢や学業が必ず私を支えてくれるはずだから。

私が、「もし、私がAndrás Schiffのように優秀な音楽家なら、Bachでも、Chopinでも何でも弾くよ。 私は、彼のように優秀で無いし、この先、一生努力して勉強を続けても、彼には及ばないだろう。でも、私は、彼のように、最高のBach弾き、と言われつつ、ベートーベンでも、モーツァルトでも、ショパンでも、幅広いレパートリーを持ち、しかも、指揮者としても優れてるなんて状態は望んでないし、無理だとわかってる。でも、でも、こんなダメな私だから、せめて、J.S.Bachの鍵盤楽器の為のいくつかの作品だけは、どうか、彼のように上手く弾けるようになりたいんだ。」って。

(もちろん、今は統計物理学を主としていて、音楽にすべてを捧げてるわけではないので、こんなことを言う資格があるのか自体が疑問ですが)

それに対して、母は、「それ(Bachだけでも、満足に上手く弾く) のは一生かかっても無理だろうよ。」

と言った。母が、私の夢を否定するなんてあり得ない。 私の辞書には、夢に関して「諦める」「不可能」という語彙は無い。

この件は、子供の頃のL.ベートーベンやA.・モーツァルトが、親に連れ回されて公開の場で、当時の流行りの曲を弾かされてたのと似てないか!?

とおもいつつ、これが親孝行になるなら、私が、もうしばらく衣食住の問題を気にせずJ.S.Bachや自由エネルギーの勉強ができることへの御礼になるなら、仕方ないかな、それぐらいしか私には出来ないし…とも思い複雑です。

まあ、その発表会では、物理的に許容最低レベルの「黒鍵」を弾く、(それでも、大満足だ!と母が言いましたから)

私の本命の発表会では、自分と何より大好きなピアノの先生の意思を尊重し、最大限の努力をして「イギリス組曲」を弾く、というのが、今の私の予定です。

まあ、いいでしょう。レストランのサービスでもそうですが、自分がBestだと思わなくても、お客様が、求めるものに極力応じるというのが基本ですから。

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