A-LeroyのQueerなΨ難日記

Beauneへ行きたいA-のΨ難とかクィアなセクシャリティーとか

私の弁解

先の記事に関して、「感情に任せて恥ずかしいブログをかくのはやめなさい・・・」と母から<非常に感情的な忠告を受けてしまいました。

でも、これ、半分はまあいいとして半分は、間違ってるのですね。

多少は、「感情的」なニュアンスがあったとしても、「恥ずかしい」の因果関係がわかりにくく、なんで?と疑問の余地がある。

振り返ると、一番感情的な記事は、昨年の「京都伊勢丹でのショックな事象」だと思う。実際、その場では、身体が痙攣し口がきけなくなるくらいに動揺した事象だ。このような症状は、記事を書いた時には当然のことながら、おさまっていましたが。

そのときは、

「感情に任せて恥ずかしいブログをかくのはやめなさい」と指摘はされなかった。

私だって、本当に悲しい。

【夢に関して「無理」って言われたから。】

あの記事は、ことが起きてから一晩以上経って、夜中もほとんど寝られず、早朝からずっとあまりにも気持ちが重く苦しくて吐き出したくなり、個人ブログに吐くことで、なんとか学業に取り組もうとしたのが、更新のきっかけなのです。「感情にまかせて」書く、というより、だいぶ落ち着かせてから文にしたのですね。

誰かが、Bachを弾く私を支持してくれるって、Bachを愛するのも個性の一つだって認めてくれるって、信じてー。

事実と素直な私の意見、強い信条を表明しただけ、めちゃくちゃな悪口、非人間的な誹謗中傷をしたわけでは無いはず、と思うのです。

「お母さんやおばあちゃんに聴かせてほしいと思っただけ」それならば、普通に、「私は、黒鍵が好きだなー、リクエストしたいな。もし、機会あれば・・・」と、それだけを伝えれば良いのに。

「Bachが、ありさの個性を生かしてるとは思えない。ありさは、Bach全然上手くないから。・・・はっきりいって、昨年弾いていたイギリス組曲6番のガボットが、繰り返しとか同じこと繰り返してるだけでつまらなかった。下手。表現がダメ。」→だから、「黒鍵のエチュード」のほうがmuch better

という話の流れがあったのは、まぎれもない事実であり、これは、たとえ「私のBachが下手なのが、事実」であっても、私はとても傷つきました。

私は、何弾いても下手です。それは認めます。でも、その中で最大限努力したら、少しはマシな演奏が出来るはずです。私が、最大限の努力を出来るのは、大好きなBachの曲なのです。

それをわかってもらえなかった・・・

なんとか気持ちを整理して、統計物理学の演習とピアノとソルフェージュの課題、そして、イギリス組曲の譜読みに集中したいです。

夢を叶える為に。

私も、いつか、強く主張する為に、

【どんな夢も諦めなければ、いつか、必ず叶う】を。

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