すべて、自分自身で
【すべて自分自身で解決出来なければならない】
鋭く突き刺さり、重く重く私の中に沈みこみ、その余韻は永遠に続くーー。
イジングスピン系の為のフォートランプログラムとある論文の内容について、「ディスカッション」に伺ったが、具体的なことは全くアドバイス頂けずに、これだけで終わってしまった。
研究は、勉強と違うのは、私だってよくわかってる。
でも、まだ学生、それも修士なんだし、
実験の方法、解析の方法、プログラムなどの雑知識といった【手段】についてもう少し具体的に教えて欲しい、と思うのは、
私のわがままですか?
手段を助けてもらえたら、研究の本質、つまり、論文読んだり、物理的なことを考察したりすることにその分の時間が割ける、というのは
私の勘違いですか?
「他の修士のみんなは、そんなプログラムのこととか他人の論文のことは、<自分で>解決してるの、みーんな。
研究は、問題を作って他人に押し付けるのではなく、自分で解決して創り出さないといけないんだ。
世間の多くの(この分野の)大学院は、
ガウシアンの使い方教えて、既製のパッケージ使って、与えた課題をそのまま計算して、出た結果を集めて論文にしてる。
ポスター発表してるのに、質問したら、そのM1は、何もわかってなくて「一緒にやったPDと教員が詳しい」と返した
◯◯大学のこと、貴方は批判してたじゃないか?
卒業したら、社会の駒になるだけなら、(低レベルの学校教育なら)「大学院の研究」といっても、プログラムを具体的に教えて、指示したことを計算させるだけだろうけど、
ここ(京都理学研究科)は違う。
ここは、
【自分自身ですべて解決出来る】
ようになるところ。
研究者は、そうでなければ、やっていけない。
教えてもらう、
ではなく、
教えてもらわないを基本にしないといけない。
私は、貴方と哲学的なこと、物理的なことを議論をするつもりだが、
そんな答えがわかってるような些細なことを話すつもりはない。
そうしてたら、どんな簡単で些細なこと、何をやるにも、いちいち(教員に)聞きにこなければならなくなる。
自分自身ですべて解決しなければならないのに。」云々。
私は、大丈夫、
【自分自身ですべて解決出来るから】
って言えたら、どんなにいいのだろう?
私は、プログラミングが嫌いだし興味も無いのです。
でも、自分で【手段】を見つけて創るところから研究なんだ、
と言われてしまったら、どうしようもない、反論も出来ない。
でも、私の先生は、「博士進学するなら・・・」って仰ってた。
こんな私なのに、私の先生は、
私の夢を否定しないし、私の先のことを考えてくれてる。
前の先生にこれを、それだけを望んでたー。今の先生は違うのに…私が望むものをやっと獲得したのに。
【今回の夢は、夢のままで、叶うのに。】
もう二度と、夢を悪夢にしない!
その学科のことに関して厳しくても、並大抵ではない努力が必要でも、辛抱強さが必要でも、私は、夢が叶うなら絶対に諦めないでやりぬくって
子供の頃から言ってたのに。
・・・。
どうしたらいいのか、
こんなことを書いてる間に、プログラムの勉強すべきなのはわかってるけど、
あまりに切なくて無力な自分が情けなくて、今の私には、すべて、どころか些細なことすら自分自身では解決出来なくてーー
ただただ涙が溢れてくるのです。
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