A-LeroyのQueerなΨ難日記

Beauneへ行きたいA-のΨ難とかクィアなセクシャリティーとか

コメントについて


私は、自分の意見への反対も、異論も すべて 受け入れます。反論大いに結構。
【ただし、合理的、生産的、積極的、論理的 】であることが条件です。 ←この条件は、必須です。

私の友人で、立派な方が仰ることです。
私の先生も、研究室セミナーで似たようなことを仰ってました。
私も共感しております。

非論理的で、ただの否定、まして、ふざけたコメントには、私には、それほどの国語力もなく、付き合う暇がありませんので、スルーいたします。
個人の気ままに気軽に息抜きに綴っている日記ですから、論文、作文コンクール用といった正式な文書の練習ではありません。また、会社のオフィシャルなブログでもありません。
従って、気に入らなければスルーでお願いします。
よろしくお願いします。

ちなみに、
一流の研究者で、かつ、京都大のベテランの教員で、以下の意見を持つ方がいらっしゃることを紹介しておきます。


「勉強と研究は、不可分なものであり、
研究のベースは、勉強である。
だったら、私は、研究者じゃないのか? 
私だって、いつも、勉強してる。

プロの研究者だって、その道に詳しい他人に教えてもらう。実験の手法、調査の仕方といった具体的な手段のことですら。
  たくさん教えてもらって、他者に助けられて、他者から受け取ったものなど、
インプットしたものから、
自分で考えて、アウトプットするのだ。

大学院生は、勉強しながら、研究を学ぶ生徒である。 (自分の研究を教える人では無い!) 
本当に【すべて自分自身で解決しなければならない】なら、ほとんどのプロの研究者は、大学院生以下だ!!


私は、出来るだけ具体的なことを、少なくとも私ならこうする、これが良いと思うと
教える。  
ずっと間違ってデータを取り続ける学生をほっておいたら、その分野の研究の本質的な部分を考えるまでに達しない、正しくとったデータから、◯◯学的なことを考えることが本質なのに。
その前に年取って死んでしまう。

それは、教育ではない。
大学は、教育機関である。

一人で生きていける人はいないはずだ。」

私も、彼に共感いたします。