A-LeroyのQueerなΨ難日記

Beauneへ行きたいA-のΨ難とかクィアなセクシャリティーとか

コメントのお返事





長く、誠実で、丁寧なコメントを、バクさまから頂きました。とても長いのと、共感出来るところがありますので、ご紹介を兼ねて、こちらでお返事させていただきます。

バクさま、
いつもありがとうございます。
誠実で、ご丁寧で、勉強にもなるコメントであり、とても有難いです。


>研究は、勉強と違う

ほとんど一緒でしょう。違いは、解答がない問題があるかないかの違いだと思いますが…


→私も、そう信じておりますし、理学研究科の複数の教員も同じ考えをお持ちのようです。

教えて頂いたり、本読んだり、講義受けたり、(つまり、勉強して) 考えて、また勉強してるうちに、自分自身の解答へつながると信じております。


等重率の原理について
等重率、エルゴート仮説、エネルギー等分配は統計力学の基本ですが、等分配以外は式で証明できないものですね。それだけに気持ちの悪いものです。テキストによれば、前者はNewton力学で解決すべきもので、後者は数学者の仕事と述べているようです。私はそうは思えないです。

等重率の原理をアプリオリ(先験的)とも言うようですが、この言葉はカントの純粋理性批判で現れてくる言葉ですね。
 この言葉が意味するようにすでにわかっていること→当たり前。ととらえるべきなのかも知れません。
 私にはこの問題の解決は量子力学にあると思っています。
 もし等重率が成立しないとすれば、熱力学的見地からすれば等エネルギー面内で状態変化の可能性が出てきます。量子力学での状態変化はエネルギーのやりとり、摂動論の扱いになるはずです。これは大変都合の悪いことです。
おそらく、変分法での停留点(微積分の極値に相当)のような状態が等重率の原理とつながっているように思えるのですが…


→そういう性質を持つものを、「エネルギー、即ち、量子」って呼んだら、今の物理では上手くいってるのかな?、と思ってます。

また、そもそも統計物理は、

(自然界にそれが当てはまらない物理現象があるにせよ)  そのような条件下で、系の統計的な性質に着目したら、どういう議論が出来るか、

というお話なのかな?とも。

でも、そもそも、集団に対して、「状態」ってなんでしょうか? って考えてしまいます。

ミクロな状態、マクロな状態…。




>「自由エネルギー」って何??
私は、系のある状態から仕事が可能なエネルギーというようなイメージでとらえています。



絶対零度だから、エントロピー
0Kは基準と考えれば問題ないかと…
大体、分母が0になってしまいますよ。こういう定義でもしなければ理論が破綻してしまいますよ。


→(s,t)=(0,0)と数学で、座標の原点のようなイメージですかね?



>ΔS>0
ある高名な熱・統計物理学者が相対論や量子力学を批判のついでに熱力学的宇宙観というものを提唱し、そこにΔS>0と時間の進行と関連しているようなことを述べていました。
私の研究の最終目標は膨張宇宙論エントロピーの概念を取り込んでみたいと考えています。そのためには煩雑なテンソル計算を可能な限り回避した一般相対論の構築を始めました。最近は夢の中でも変な計算でうなされています(W)


→頑張ってください。私も興味深いです。私は、統計では平衡系に定義されるSが、熱力学のS>0、時間発展の概念をそなえるSと一貫性があるのが、不思議です。

それとも、S>0と定義してあげたら、この世界では、他のものが上手く説明出来るのかとも考えてます。

>この世の中、非平衡ばかりじゃないか!
直感で言うのですが、平衡状態の微少な移動で非平衡を議論できませんか。エントロピー増大によってなんとかなるような気がしますが… 


→熱力学で、系を変化させる時よくくされる議論ですかね。(準静的・・・と、ニュアンスが似てる気がします。)

>手段を助けてもらえたら、…私の勘違いですか?
おっしゃるとおりだと思います。
しかし、先生の立場を考えれば、そこまで余裕はない、自分で何とかしてほしいと思うでしょう。
また、学部レベルでも教えるのは大変なのに、大学院レベルになれば、こりゃあ大変です。
 私の経験ですが東大で博士号とった人でも全てわかっているものではありません。
 自分でやらねばならないのです。誰もよくわかってないからだと思いますよ。


→ありがとうございます。

生態研のある教室では、教員は、

実験動物・植物の飼育法など、生態学の本質以外の【手段】に関しては、かなり具体的に教え、サポートをするようです。

また、教員レベルでも、そういったことは教え合うようです。

本質を考える時間をより多く作る為に。



>すべて自分自身で解決出来なければならない
全くその通りですが、しかしそれは不可能です。
プログラミングのような道具まで徹底的に理解小とすれば、それだけで一つの研究になってしまいます。
 私の経験で言えば、過去にあるテーマでプログラミングを基礎からセミプロ級まで勉強したのですが、結局肝心の研究が進みませんでした。
あのとき、ブラックボックスでも良いから、適切なサンプルプログラムを探し出し、加工すれば良かったと反省しています。


→私も、プログラムは、ブラックボックスでいいから、早くイジングスピン系の計算をしたり、ミクロとマクロの状態を考察したりしたいです。また、より多くの論文を読みたいです。


>「既製のパッケージ」で「そのまま計算」は何も問題ないでしょう。単に技術上の問題ですから、ただ、「与えた課題」は問題です。これでは発表者の研究ではなく、他人の研究を代行しただけです。
「課題」とはあなたが常日頃考えている「疑問」ではないでしょうか。その疑問をより具体化して「課題」にすることではないでしょうか?


→私も問題ないと思います。既製の手段で、教えてもらって計算したとしても、

計算結果の意味を、自分で考えて論文にすればそれは、立派な彼ら自身の研究です。

量子化学者は、みなガウシアンを独立に作るところから、自分でやるのでしょうか?とんでもないです!


>教えてもらわないを基本にしないといけない。
これも違うと思います。いろいろな人と議論をする中で、解決へのヒントが得られると思います。
そのためゼミがあると思います。
私は一介の日曜物理学者なので、基本的に自分だけですが、それでもたまにはメールなどで議論したりして、良き刺激をもらっています。

→私も、一部の理学研究科の教員も大いに賛成です。

教えあって、協力して、それでも解けない難題がたくさんあるのです。


是非、「疑問」を大切にしてください。

→はい!ありがとうございます。