A-LeroyのQueerなΨ難日記

Beauneへ行きたいA-のΨ難とかクィアなセクシャリティーとか

「もう一人のメンデルスゾーン」

お久しぶりです。

先日に続きますが、今、「もう一人のメンデルスゾーン」by 山下剛 というFanny Hensel の伝記ものを読んでます。(敢えて、Fanny Hensel と書きます! Mendelssohn 一家、特にFelixの姉であることを明確にするために、”Mendelssohn“と呼ぶ動きの方が強いようですが、残念な父親、保守的で夫の方針に同調し娘の力にならなかった母親の姓では呼びたくないですね。 私は、立派な相方 Wilhelm HENSEL を讃えてそう呼びたいのです。 実際、結婚して姓は変わってるのですから。)

子供時代からの【父親への絶対服従】、世間のユダヤ人差別、さらに、実の親からの女性差別

弟 Felix の超自分勝手なわがまま!(「(当時の)女性らしく第一の天職・主婦業に献身せよ、子供がいるのだから・・・」云々、父親の言うことをサポートし、Felix もFannyが自分と同じようにプロの音楽家として活動することにやや否定的な姿勢を見せつつ、【専属スーパー音楽アドバイザー・音楽監督】として、自分の作曲・公演に関してはバッチリ頼っているのです。Felixの場合、あくまで「女性なんだから・・・尊敬する父親に従え・・・」は建前なのです。実際、Felixは、クララ・シューマンを始めとして複数のプロの女性音楽家たちを支援して積極的にサポートしてます、つまり、保守的で偏見・差別に満ちた父親と同じ立場を心からとっていたわけではないようです。ただ一人姉に対してを除いては…。Felixは、専属スーパーアドバイザー・音楽監督が、最も愛するお姉さん♡ が、いつまでも自分だけのものであって欲しかったようです。そして、最愛のお姉さんが、自分の最強のライバルになるのが怖かった、Fannyが自分の活動をするとFelixの音楽アドバイザーをしなくなるのが怖かったようです。

私は、Felix Mendelssohnを、作曲家としてだけでなく、J.S.BACHの再評価、復活公演で非常に尊敬してます。
その復活公演で一番有名でしょう、「マタイ受難曲」の公演。
これは、Felixが指揮、Fannyはアルトの合唱の一員という形ですが、事実上、裏で指揮者の上にたつ音楽監督として、Felixや他の全パートに指示、アドバイスをしていたのはFanny のようです。特に、第三回目のFelix不在、代わりにツェルター指揮の時は、ツェルターの実力不足でなおさらFannyが裏で働いていたようです。
このような事実を知るとなおさら残念で、Fannyと、Fannyに活躍して欲しい、自分が絵の仕事をするのと同じようにFannyにも音楽家としてはばたいて欲しいと応援し続けたWilhelmを思うと気の毒でなりません。
FannyとWilhelmは、新婚当初 【父親アーブラハムの支配下】におかれたのです。それが、結婚の条件であり、約束だったようです。 当時、Wilhelmは、収入が不安定、Fannyは父親に主婦になるように強制され自身の収入がない、というのもあるようですが。
特に、Fannyには、長女・Mendelssohn家の女性として常にMendelssohn家に何かある時は、すべて取り仕切ることが期待されていたようです。
実際、その直後に父親アーブラハムはWilhelm用のアトリエを自宅の一室に作ってますが、
これを「二人が経済的に不安定なのだから、経済的支援を受けているのだから、従うべきだ」と考えるのか、
「絶対権力をふるい、支配下に置いた、自宅アトリエも、二人を自分の支配下に置くため」と考えるのかなら、
私は、アーブラハムの性質から後者と考えます。

WilhelmとFannyは、アーブラハムの【管理下】におかれた・・・アーブラハムの【管理下】におかれたとはいえ、アーブラハムの資金には依存せず、画家である夫の収入でなんとか生活していこうと考えた。(だから) Fannyは、作品目録、展示会組織・・・夫を支えた。また、WilhelmもFannyに理解を示し、彼女の音楽活動を積極的に後押しした。(音楽には疎いWilhelmであったが) 【Fannyの創作や演奏活動が自分の絵画制作にも大きな刺激になると考えたのである】」


(呼び方について。 敢えてFelix Mendelssohnとだけ書きます!  ”Mendelssohn家天皇制“ での絶対神であり天皇だった 父親アーブラハム は、”Barthordy “というキリスト教へ改宗して、キリスト教徒としての名前を名乗るように子供たちに強制してるのですが、Felixは、Mendelssohnと名乗りたかったようですから。実際、ロンドンでFelixがただMendelssohnと名乗ったことに遠く離れたベルリンでアーブラハムがものすごく激怒してるのです。 
だから、私は、彼を尊重して、ただMendelssohnとだけ書きます!   ちなみに妥協案が、Mendelssohn=Barthordyだったようです。)  

それにしても、Fannyは「尊敬してる父親に逆らって、逆鱗に触れてまでは、音楽家になろうと思わない」と考えてたようです。 そんなものなんですかね…私なら振り払って活動しますが!  生物って結局、自己中心的なものなんです。特に極限に追い込まれた時は。 最後は自分自身なんです。 特に、Fannyのように当時 一流の音楽家複数に実力を認められた人物なら、なんとか生きていけたはずです。私なら、自由に、自分を生きて、それで最後は自分に反する立場、否定的だった立場の人物さえも認めさせてやる! その人たちとさえ、自己実現の幸せや感動を共感してやる ! (この場合だったら、自分の音楽活動と自分の生き方で父親を感動させてやる!)  
くらいの勢いでやります。

しつこいですが、
【諦めずに最後まで努力を続ければ、どんな夢も必ず叶うのです。必ずその取り組んだことで最高に幸せになるのです。】

 
でも、子供の時からずっとそういう環境で洗脳されると、自分の希望・意思とくい違っても【父親には逆らうものでない】というのが普通になってしまうのでしょうかね…
そして【支配下に置かれたWilhelm】は、アーブラハムの生前からずっとFannyの音楽活動を後押しし、出版、公開の場での発表などアーブラハムが禁じてたことを積極的に勧めてます。彼は、本当に勇気のある人物だったのでしょう。

ふとこの話を思い出しました。
先日、香港の友人との話でこんな話がありました。

中国・韓国あたりで【反日反日反日・・・】と子供の頃からずっと刷り込まれると何も考えずに子供でもそんなものかと「反日」の意識を持ってしまう、
だから、韓国では幼稚園児でも反日がいます、
というのと似ているような気がしました。