A-LeroyのQueerなΨ難日記

Beauneへ行きたいA-のΨ難とかクィアなセクシャリティーとか

祖母の旅立ち



一応、ご報告です。
祖母は永眠しました。
享年84歳です。
通夜は9日、葬式は、10日の昼間の予定です。

昨年末、年明けはみんなお忙しいのに、年末、特に大変な時期に、私の素晴らしい先生方、友達がプライベートな話を聞いてくださり、励ましてくださり、私を支えてくださりました。
皆様、私を支えてくださって本当にありがとうございました。

今もずっと泣いていて、泣きすぎて頭痛も酷く、まだパニックです。
一度泣き止んでも、ふとしたなんでもない事で発作のように泣き出してしまいます。

例えば、論文の図をじっと見ていただけで、泣き出してしまいました。「修士の発表会までは…って言ってたのに、
(発表会の後、正式な修士論文の最終提出があるから、発表会後も忙しいのだけど) 発表会終わったらひとまず、1日でも2日だけでも帰ってお見舞いに行くつもりだったのに…」って。


  母子家庭で子供の頃、かなり世話になっていたこともあり、本当におばあちゃんっ子だったものでして…。

遺品を見たらもう完全にダメです。



調査委員の先生が、事故の時、年明け、今回も何度もリアルタイムで応援メッセージをLINEでくださってました。それを思い出して、空いてる時間は全て修論をやろうとしました。しかし気分が酷く、集中出来ず、実際には、ほとんど進みませんでした…特に、祖母の死後は全くです

それでも、修士論文と発表会は、必ずやり遂げます。祖母と、残された祖父の願いです。祖父は、性格的にかなり問題があり、母や祖母に本当に酷いことを言ってきたので、どんなに私には優しくしてくれたり世話になってきたとしても、私自身、素直に好きになれないところがあります。しかし、それでもおじいちゃんは私にとっては「おじいちゃん」です。祖父は、私が京都大学の学部・大学院へ進学したことを親族では最も喜んでいるらしいです。

【今年の春に、修士修了と進学を決めます】



祖母とは、亡くなる前の日まで私の京都の生活、友達、学業の話をしてました。京都大の素晴らしい先生方、私の幸せな場「量子研」と大変だけど幸せな生活の話もしてました(^^)  
そんな素晴らしい先生がいる京大はすごいね、さすが京大だね!と 
話すだけで苦しそうなのに一生懸命に何度も話してました。かなり直前まで意識があった祖母にとって幸せなことだったに違いないです。

私は、
お通夜が9日夕方から横浜でありますので、また次の週末は横浜です。
母は、葬式の準備、塾の仕事で忙しく、愛犬アンのお守りもあるので、そのまま居られないのか?と言われましたが、(あとは、正直、往復の交通費も高いし・・・)
心を鬼にして、一度、量子研に帰り、書類の提出などをやります。

しばらく放心状態で泣きっぱなしで何も出来そうもないのですが、事故のないように気をつけて帰京します。

修論は、なんとかします!  

しばらくは、年明け初めてお会いしても「あけましておめでとうございます(^^)」を笑顔で言えないと思います。どうかご了承ください。

京都の父の妹さん(「イクミママの動物ドーナツで有名な方です)  が地元近くにいるのでお会いしました。挨拶で「あけまして…」と私が言いかけたら、「無理しなくていいよ、無理しなくていいよ・・・( ;  ; )」と涙を流してくれました。


祖母とみんなに、【ありがとう】
を感じている時です。
「悲しい…悲しい…」と泣き続けて、
「さようなら」を言う代わりに

笑顔で【ありがとう】が溢れるお葬式にしたいですが、

やっぱり私は泣いてしまいます・・・  今も大泣きで、瞼が腫れて、目が真っ赤、鼻のかみ過ぎで鼻周りの皮膚が赤く擦れてかなり痛いです。ドライアイにはいいかもしれませんが(笑) 頭痛が酷いので ロキソニン錠を二錠飲みましたが、全く効きません。

でも、今の私は、大丈夫。今を、現実のこの世界を、確実に最大限の努力をして生きていきます。今私の周りで生きている方々を気にかけて大切にしていきたいです。
悲しみからの解放に時間は必要だけど。横浜二いる母に加えて、京都の父母(元バイト先の店主夫妻で、京都にいる時は、私を娘のように可愛がってくれてます。学部二回生から毎年一年も欠かさず誕生日ケーキ🎂🎉を用意してくれます。) 、そして素晴らしい友達・先生たちがいますから。

どんな夢も諦めなければいつかは必ず叶うから、諦めないというだけで、夢に近づくのだからーーそう励まして下さる素晴らしい先輩も今の私にはいますから。
どんな一瞬も、全く修論ができない時も、病院で気が動転し泣き叫んでいても、私は自由エネルギーのことを、今回の修論と発表会を決して諦めたことがありませんから。