A-LeroyのQueerなΨ難日記

Beauneへ行きたいA-のΨ難とかクィアなセクシャリティーとか

帰京して…

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帰京しても泣いてました、
何か動作をする度に、量子研に行く準備をしていても、
涙が溢れてきて泣いてしまいました…。軽く化粧をして、服を着替えても、行く前に既に涙でベトベトで崩れてました…午前中は泣いて終わりました。

でも、午後から、数時間ですが、量子研には行きました。

机の上には、仲間たちからのたくさんのお土産が置いてありました。
特に仲良しのPDの方は、台湾人なのですが、いつも一生懸命日本語で話してくれます。彼女からは、私が興味あると話していた、台湾の香り高い烏龍茶一袋とスペシャルなパイナップルケーキが置いてありました。


でも、やはり時折、涙が溢れていて、慌てて手洗いに駆け込むことが何度かありましたが。 でも、先輩たちと笑うこともありました。
量子研は、とても幸せな場所です。 年明けの祖母の様子を見て、母が「帰京、どうしても延ばせないの?」と話になり、
量子研に帰る日を延ばそうとしてました。祖母は、私が量子研に予定通り帰れるように早く逝ってしまったのだと思います。私が量子研に帰って研究を頑張るのは、祖母の願いでもあったのかなと思います。

調査委員の先生が、私を大変心配してくれていました。
彼もものすごく忙しいのに親身になって修論のアドバイスをくださりました。。。 「今週も来週も僕が貴方の修論を見て上げれない・・・代わりに助教のMさん(三角格子スピン系に詳しいらしい)  にお願いしようか。」と、まるで私の指導教員のように気にかけてくださります。

さびしかったのは、ドイツへしばらく短期留学ということで行ってらした先輩が、量子研を辞めて、ドイツの行き先の研究室に博士課程中途編入してしまうことです。また帰国した時は、量子研にも寄ってくださるようですが、今日は、量子研の学生として最後の日でした。彼は、片付けで忙しく、会話もあまりできませんでした。それでも、私のことを、祖母を失くしたことを気遣ってくださりました。彼が片付けをしてるのをただただ見ていることしか出来ず、それを見ているとなお一層、とても淋しかったです。

心優しく頼りの量子研の秘書の方が、亡くなった祖母へ、私の実家宛にお花を贈ってくださりました。

彼女の心遣いと敏速な対応はいつも素晴らしいのですが、
さすがに、実家にお花が届いたと母から聞いたときはびっくりしました❗️  
まず今日会ったら初めに彼女が、「本当に、よく頑張ったね。」と涙ぐみながら、ハグをしてくれました  
彼女とたくさん話して、気分が大分紛れました。

本当にみんなには感謝感謝です。