A-LeroyのQueerなΨ難日記

Beauneへ行きたいA-のΨ難とかクィアなセクシャリティーとか

Bonnes Mares

先日もお知らせしましたが、私の母 嶋田富美子 は、祖母の乳癌闘病記 をメインにブログを書いてきました。
祖母の旅立ちを告げる記事を読むと、何度でも泣いてしまうのですが、それなのに、暇さえあれば、ならまだいいのですが、暇がないのに、研究室でやるべきことがあっても集中が切れて、何度も何度も見てしまいます。

以下は、母のブログからの引用です。
「今、もう一度母の声が聞きたいです。

母とまだまだいろんな話がしたいです。

母の卵焼きが食べたいです。

もう、二度と叶わないのですね。

本当に本当に悲しいです。

私にとって母は偉大でした。

母の存在は何よりも大きかったです。

私は母が喜ぶ顔を見るのが、私の喜びでした。

これから先、私はどうやって生きて行けば良いか途方に暮れています。

でも、素晴らしい友人たちが私の力になってくれています。

母が安心して天国へ行けるように笑顔で頑張ります。

時々泣いてしまいますが。

そして、いつかまた天国で母に会えると信じてます。

だからサヨナラは言いません。

お母さん、本当に有り難う。

お母さんの娘で幸せでした。

お母さんの娘に生まれて本当に良かったよ。

いつまでも見守っていてね。」


「偉大な」ーーこの言葉は、私は、人に対して使う時は、コロケーションのように「ピアニスト」が続いていたように思います。

私は、母のことをそう思ったことがないのですが、でも、本当はそうなのかもしれません。

でも、修論と発表会がおわったら、素晴らしい!というのは無理でも「マトモな」卵焼きぐらいは私が作ってあげれたらと思います。座って食べる暇もない、と忙しくしている母にすぐ食べれるように用意しておいてあげたいです。

私は、母とはちょっと考えが違っていて、この世の中に天国と地獄があると思っております。だから、自分の死後に再会できる、というようなことは期待しません。
残った私は、今の生を幸せに最高に生きていくのみです。今の目の前のことに対して最大限の努力をして、今を、近未来を最高に幸せに生きていくことだけを考えています。

祖母とはこの現実世界では「別れ」ましたが、私たちの精神の中で私たちと共に永遠に生きていくはずです。

母はそのように書いてますが、
祖母も生前、母のことを本当に心から誇らしく思っているようでした。私は、母にとってそんな娘とはほど遠いでしょう・・・
いつか、そうなれたらいいのですが。人の寿命はわかりませんが、母が祖母の年齢になっても、私は、夢を追いかけ続け、自分を生きるだけで必死で、母の手助けが出来ない状況かもしれません。

自由エネルギー、いや、
共時性的相互作用の三角格子の相転移、状態の表現の議論だけでも 本当にたくさんの謎がありますから。

実験系では、理想的な三角格子 、イジングスピン系、最近接相互作用のみ、
という状態は現時点では実現されないようです。それでも、理論では、三角格子イジングスピン系がスピン液体になるとか、そうではない(スピン固体 とは言わないけど、実質そんな感じ) とか、いろんな議論がされていて、決着はついてません。
自由エネルギー面F(x) は、なぜそのような数値を計算して、相転移点が議論できるのか、その「相転移点」の前後の状態と自由エネルギーはどのような関係なのでしょう!(自由エネルギー面、は何を語るのか?)

ある論文で、ランダムエナジーモデルを用いて 小さな系で自由エネルギー面を求めていて、エントロピーS(E,x)=0 となる温度を臨界温度として、その臨界温度の下では、系がガラス状態だとかいうことを論じてた。。
それに、私は、J.S.Bachの解釈の研究をして、自分の確固とした指標が欲しい。演奏を公開でしたい・・・。


私、今でこそ、「元気で明るくよく笑う」という取り柄ととりたてて言うほどでもない取り柄がありますが、子供時代は精神的に不安定でよく泣いてばかりで、それもありませんでした。あとは、…私の取り柄?「興味持ったことに対して諦めないで最後まで努力を続ける」ということぐらいでしょうか。
手間とお金と心配をやたらかけてばかりで、母の興味とは全く違う方向に突っ走る娘ですから(>_<)  

いつも京都では、自由エネルギー、量子研、私の先生、もはや親しい友人である京大の先生たち、J.S.Bach、ワイン 、そして 《友達 》で大変であっても非常に充実した幸せな生活をしていて、その生活が出来るのは紛れもなく母のおかげなのですが、母の存在をそこまで意識する暇もなくあっという間に京都生活が過ぎ去ってきました。

でも、
私は、祖母の死の後、なんだか淋しがり屋になってしまったようです…。一時的なものだと思いますが。
もうM2にもなるというのに、京都も6年目なのに、量子研から帰宅すると淋しくなります。量子研やその周りには、明るくて優しくて大いに笑いあえる大好きな人々がいるのでまだ大丈夫なのですが。
横浜の母のことが気になってしまいます。 
そして、今は、明日、お通夜と葬式で帰省するのが待ち遠しいのです。
楽しみ、というのとは違うのですが、母と何でもないような話をとりとめもなくしてしまいそうです。

くだらない追伸ですが、
「偉大な母」というと、”Bonnes Mares “
を真っ先に彷彿します。
私の”Bonnes Mares “ 体験は、今年試飲でたった一度だけ、Georges Roumier 1994
期待してたので、残念でしたが。 
昔々、「偉大な母」を感じた方が、思い入れのある偉大なワインを生み出す畑にそう名付けたのでしょうか・・・?

すみません、この本文とタイトル、合ってないですね(・・;)
母が、祖母が亡くなる本当の直前と、亡くなった直後に「お母さんは偉大だったよ。本当にすごいよ・・・(泣)」と何度も話しかけてのが印象的だったのです。