A-LeroyのQueerなΨ難日記

Beauneへ行きたいA-のΨ難とかクィアなセクシャリティーとか

夢を叶える為に

 祖母の四十九日、莫大な遺品の整理、お墓選びなどの用事もあり、この数日間私は、横浜にいます。


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「世界の果ての通学路」という映画を母校のホールで見ました。私の出身高校では、放課後に映画、演奏会などを鑑賞「ホール行事」というのがあり、卒業生やその家族も会員になれば鑑賞できるのです。

シンプルで短い映画ですが、とても感動しました。
特に、子供たちが最後に夢を語る姿が本当に素敵でキラキラ✨
本当に本当に可愛くキラキラとした子供たち、設備は悪いけど、みんなが生き生きとしていて優しそうで、
「イジメ」「クラスに溶け込めない」という概念すら無さそうな学校が素敵です。
「夢を叶えるために」どんなに厳しい環境にもめげずに学校を目指す子供たち。
私は学部四回生、京都大の量子研に来て初めて「夢を叶えるために」学校へ通う、という幸せを確かに感じましたーー。 

ところで、高2の担任の先生にお会いしました。
高2の最後の三者面談で、
「貴方、京都大、受かりますよ」と母と私に断言し、母が今でもビックリしてます。彼は、当時から私が京都大が合いそうだと確信していたようです。

当時の私は、音大のピアノ科に憧れつつ、1年後の受験としては、実家から徒歩圏内の大学の理工学部をかなり具体的に考えてました。
その一方で京都大の《自由》の校風に興味がありました。しかし、受験科目が多く、大の苦手の国語をどうしてもやりたくなかったのと、
受験の科目数を減らして、その分ピアノとソルフェージュの勉強の方に時間を割きたいという思いが強かったのです。

彼とは、卒業以来、初めての再会でしたが、改めて「京都大に進学し、【合っていたようで】非常に幸せである」と伝え、お礼を申しあげました。
修士課程の話と、博士進学を伝えたら、「きみ、頭良かったんだね!?」と言われました(^^;;(笑)


昔は、義務だから、みんな通ってるから、ある大学へ進学したいから、学校へ行ってました。
理科の勉強は好きでしたが、「夢を叶える為に」通っていたことはありませんでした。
私が、「あの大学」に順調に進学をしていれば、入学式のその日から「夢を叶える為に」通うことになっていましたが。
高校では友達もいて、比較的親しくできる先生もいましたが、それでも正直、休みの日の方が好きで楽でした。
学校は「ある大学」へ進学する為の高卒資格の為、つまり、リベンジ(ある人びとの昔の評価を覆す為に)の為の資格を得る為に通っていたようでした。
私は、京都へ来て、学部後半になって京都で新しい夢を見つけ、その為に研究室を選び、進学をして、
この数年間は「夢を叶える為に」学校へ通ってきました。



あんなに直向きで努力家の子供たちの夢はきっと必ず叶うだろう。
私も、必ず自由エネルギーの夢を叶えよう!!



ところで、
【どんな夢も諦めなければ、いつかは叶うものです。】
そう確信される立派な先輩ですら、「非常に難しい。不可能かも…」とおっしゃる夢があります。
それは、映画「北朝鮮強制収容所に生まれて」の申東赫の夢ー
シンは、「私の夢は、いつか北朝鮮に収容所がなくなったら、北朝鮮の収容所跡地へ戻り、畑を耕し静かに暮らしたい。でも、その前に、
世界から政治犯という人びとがいなくなってほしいーー」
と夢を語りました。
私も、心から彼の夢が叶ってほしいと願います。他者の夢の中では、シンのこの夢が一番一番叶って欲しい❗️
世界大戦中のDachau ダッハウ収容所のような悪夢が今も北朝鮮では何十万人の規模で続いているのです。

あるいは、ノーベル賞のマララ・ユスフザイ、アウンサンスーチーの夢もその類いでしょう…。