A-LeroyのQueerなΨ難日記

Beauneへ行きたいA-のΨ難とかクィアなセクシャリティーとか

エネルギーの大爆発〜演奏会へ〜

もう異常なほど、頭の中で
「私は出来る!」
という言葉が強烈にクッキリと浮かび上がり、
ものすごいエネルギーとなって、
私の好奇心、欲望(学習・研究へ対する非常に強いもの) と共に爆発している!!!
非常に尊敬する偉大なる先輩に出会って3年、
M2夏おさらい会、修士発表会、修論
全て【私は絶対に出来る!】と宣言しその言葉を脳裏に焼き付け、何度も何度も頭の中で連呼し、眠れない夜は横たわりながら呟いた、
【私は絶対に出来る!】と、
そして複数の方々に非常に迷惑をかけてしまい、大変な助けを賜りつつですが、なんとかかんとかやり遂げてきた。
(友人の言葉を引用するなら「勝たなくてもよい、負けんとき!」でまさに「負けてない」という感じです) 


前置き長いですが。
・・・というのも、
今日から、16日のfumfum study concert、29日 内藤裕子先生のおさらい会に向けて、本格的に準備スタートしました。
しかし、実際には、「平均律平均律平均律!」といいつつ、平均律を弾いていたりCD聴いたり曲の構造について考えたりする時間よりは、他の時間の方がはるかに長いです。
いろいろやりたいこと、今優先すべきことが多いけれど、正直、演奏会1週間前だけは全てを演奏会に捧げたいのですが……そうもいきません。
ちなみに上記の「他の時間」というのは、
衣食住、私がホモ・サピエンスの個体としてマトモに生存維持する最低限の時間(つまり、衣食住、睡眠、食事、本当に最低限の家事の時間)  のことではないです。


今日からスタートした本格的な準備というのは
本番と同じドレス、靴、アクセサリー身につけて、
「嶋田ありさです(≧∇≦)ヨハンセバスティアンバッハの平均律クラヴィーア曲集2巻の1番、前奏曲とフーガを弾かせて頂きます^o^!」
と我がアパートの壁に向かって叫んでおじぎしてから着席、ドレスの裾を整えて通しで弾く、
というのを。ちなみに、この「・・・」を叫んでからというのは、司会不在のおさらい会の方式。fumfumの方では司会の方がいらっしゃるので、何も言わずにおじぎです。

「少なくとも練習と同じくらいには弾ける!《素晴らしい演奏》ではなくとも、J.S.Bachのこれらの曲に関して私が今まで勉強・研究したことはすべて発表出来る!」
という、根拠のない自信となんともいえない非常に強い想いが四六時中私の身体中で蠢き莫大なエネルギーと共に爆発するようだ。(私は、「エネルギー」という概念がよくはわかりませんが、ここではなんとなくの意味です。) 


そして何より。
「嶋田ありさです(≧∇≦)ヨハンセバスティアンバッハの平均律クラヴィーア曲集2巻の1番、前奏曲とフーガを弾かせて頂きます^o^!」
と壁に向かって叫ぶとき、私は強烈な幸せを感じまさに心から笑っている^o^  。
本番は手足がガタガタ震えるほどの異常なほどの緊張をしてきたし、今回もそれは避けられないと思う。でも、去年は、J.S.Bachのイギリス組曲に関してそう叫んだ瞬間、緊張とともに確かに強烈な幸せを感じた。それは今年はさらに明確で強いはず。
それは、J.S.Bachのクラヴィーアの為の曲は、私自身が本当に心から一番弾きたいと思って幸せを感じつつ強い興味を持って勉強・研究し、その本番までの途中経過を発表するのだから。

学業、つまり科学・芸術のある事象への取り組みは、
それに対して興味を持ってどんなに難しくて分からなくても諦めずに考え続け、熱心に勉強・研究すれば、その学業を心から愛し、それを勉強していて幸せで、その事象について他者と議論をし高揚感や楽しさを感じたりするならば、
それがものすごく苦手で、それに関する才能が全くなくとも、必ずそれに取り組むことによってその個人が得るであろう最高の幸せ(私は、その学業による幸せの絶頂をecstasy と呼んでますが)
に達するはず、

と私は、確信するから。

そういえば、
昨年の冬(M1の冬) 、
ピアノの指導者は、彼女に指導を受け始めて2年目、初めて彼女の方から「これなんか、そのうちコンクールやどこか演奏会で弾けたら良いんじゃない。おさらい会も、これ良いね(^^)」と
J.S.Bach イギリス組曲四番の前奏曲に関してお褒めの言葉を頂戴しました。私は、このJ.S.Bachのイギリス組曲がとても好きだからこの上なく嬉しかったのです。
普段からちょっとしたことは褒めてくださり、その上で注意をして下さる素晴らしい先生(その前に素晴らしいピアニスト兼作曲家) なのですが、
それでも、「コンクール」という言葉がまさか彼女から出るとは思いませんでした。
私は、「コンクール」なんて憧れつつも、「研究が忙しい」を言い訳にした極度の勉強不足、研究へ専念しなければ、という想い、何より恐ろしいほどの自分の能力に対する劣等感から、自分からはとても「コンクールのコの字すら」
言い出せませんでしたから。

そして、
遂に今年、先日のレッスンで初めて
「素晴らしい」というお言葉を頂きました……今でも聞き間違え、空耳かと疑っておりますが。
本当に大好きな平均律クラヴィーア曲集2巻1番フーガに関して。
B2の冬、アンドラーシュ・シフが来日し、サントリーホールか何処かの
ベートーベンソナタのプログラムで、アンコールでこの曲を弾いていて、私は一度で好きになりました。ビデオを取っていましたが、何十回もこのフーガの部分だけを再生し釘付けになってました、壮大なベートーベンソナタがメインなのに。
余談ですが、周りの方々との恋愛という概念がわからない、という議論の中で
「『恋愛』とは、世界には素晴らしい演奏が、素晴らしい楽曲が多くあるのに、よりに選んでこのフーガという一つのものに、アンドラーシュ・シフに、とにかく何故かわからないが強く惹かれるようなものか?しかし、それでは、「強い性選択性」は説明できないな。アンドラーシュ・シフが《男性だから好き》とは私、全く思わないから・・・」と言っていたほど強烈なものでした。


そして、必ずこの曲を弾く、いつか、遠い将来、死ぬ前に、この曲一曲だけでもいい、彼と同じくらい素晴らしい演奏をできるように努力をし続けるのだ、と誓いました。それは、平均律を全く弾いたことがないのに、いつの日か夢になってました。実際、平均律の譜面を初めて見たのは、昨年のことです。

そして、昨年、結果は多少失敗はありましたが、M2夏、3年目にして初出演のおさらい会、
恐ろしいほどの緊張感で手汗が酷くハンカチを握りしめ、手足が震え、カミカミになりつつ叫びながら、その声と共に確かにあの強い高揚感・幸福感と莫大なエネルギーが放出されたのを確信しました、

初めて京都に来て出会った親愛なる方々の前で、初めて褒めて頂けた曲、本当にその時一番弾きたい時思った曲、熱心で親切にご指導して下さった傍の先生が私に一番弾いてほしいと思った曲、
つまり
大好きなJ.S.Bachのイギリス組曲四番を弾く時、
「嶋田ありさです!バッハのイギリス組曲第四番より前奏曲ジーグを弾かせていただきます!」
と聴衆へ向かって叫んだ時に。

だから、何があっても誰がなんと言おうと私は絶対に平均律を頑張ってきたことは間違いじゃない、私の人生にとって必須のものだ、絶対に何があろうとも譲れないものだ、
それが両立できないのなら両立できるところへ私が移動すれば良い、『私には出来るから』
と今、再び確信します。


それにしても、
昔、子供の頃、弾くのが特に苦手でしかも嫌いで、「クラシック音楽の勉強の為」と嫌々やっていたJ.S.Bachでこのような幸せを感じるようになったというのも不思議な気がするなぁ…??