A-LeroyのQueerなΨ難日記

Beauneへ行きたいA-のΨ難とかクィアなセクシャリティーとか

不可解な感情?

自分の希望を伝えて、そのように動こうとしているというのに、

それが明確になった途端に激しい感情に襲われ困惑してる今・・・

もう本当に本当に長い間、悩んで考えて、何をしたらいいのかわからなくて、そのままで苦心し続けるだけだろうに、間違いなく良い方向へ進みそうな変化をどうして心から喜んで受け入れられないのだろうか!

私の真の目的はなんだろうか・・・「自由エネルギーの概念」???

ピンフラストレーション系の研究を心から最も欲しているのか?

私は、何が一番したいのだろう、何ならできるのだろうか?

本当は全くあたらしいものを思いつくタイプ、CREATIVE でありたいが、

私は、「今あるもの」にたいして疑問・興味をもち、その対象を自分なりに深く理解し、好奇心を満たし、その気があればその発展をしようとするタイプのようで・・・

私は、とにかく「一般的には」「~という決まりになっている」「今まで~だった」

というようなことで、実際に自分に不自由さがあったり不便があったり、自分の信条や正義感に反すしているのに、自分の考えを放棄し、それらに対抗して自分の考え・やりたいこと・権利を自由に主張することも出来ずにただの生物の一個体として生きて行くしかないのなら、それは「生ける屍」でしかないと確信している。まして、偏見・差別・なんらかの不条理な束縛を受けるというのならもうとんでもない!!

偏見・差別をする側を許せないのは当然だが、

私としては、それらによる被害で自由に生きられないのに、自分のしたいことができないのに、本当は不満なのに、嫌なのに、ものごと荒立てないように?妥協をして、自己実現を諦め、ただただ見た目上穏やかに時間を過ごしていく人々が全く好きでない。

多くの勇気ある人、パイオニアとよばれる人、後に偉人といわれる人は、それに対抗してきたんだから。

なんか抽象的な話だけど、なんかね、

今、とてつもない勇気だして、とんでもないような夢にむかって活動する人権活動家 シン・ドンヒョク Shin Dong-hyuk や

、「あきらかな女性差別」と戦わずに妥協して自己実現を諦め弱って死んでいった   Fanny Hansel の話をふと思い出して。