A-LeroyのQueerなΨ難日記

Beauneへ行きたいA-のΨ難とかクィアなセクシャリティーとか

「イカ京 No. 1 説」否定

イカ京」=いかにも京都大生

という言葉がある(あった? 死語かな?) ようだが、これ、あんまり良い意味じゃないようで、

「受験勉強と大学の勉強に忙しくしてきて、他のことに無頓着。世間知らず。化粧とか服装のセンスが悪い」というニュアンスがあるらしいけど、知ってる?

私は、学部から何度もいろんな場面でいろんな人に(教員、学生両方に) 

「京都大の学生らしいね。」と言われてきた。

そして、

私ほど「イカ京」な学生はいない、

とまで言われたことがある。

あれは、思い出すと笑えるなぁ。

かなり懐かしいし、今となっては恋しい時代。

研究室で教員も交えて雑談してた時、

私「イカ京 ってどんな人ですか?この研究室にいますかー?」

先輩「君ねぇ、洗面所に言って、鏡を見てくるといいよ。」

教授「○○、とても良いことを言うねぇ! (爆笑)」と腹を抱えて笑い続ける。教授がこんなに笑ってる姿を他に見たことがない。

一同声をあげてクスクス大笑い。

私「え?え? どういうことですか??」と困惑し切って聞きまくる。

教授「そこ(学生の部屋)にも鏡あるぞ。(笑)」

「(自由エネルギー関係だけでなくて)それも自分で考えなさい」

ちなみに修論の副査は、「私、イカ京ですか?」に対して「うーん、そうかなぁ?まあ良いんじゃない」みたいな意味不明な言葉をつぶやき、笑って言葉を濁した。

最近では、京都女子大の年下のかわいらしい友人と話して、彼女が、同じゼミのお友達を連れてきた。

私が、「かわいいお友達だね。同い年、同じ学科、同じ留学先、同じゼミ、同じ方向性の興味で良いね。微笑ましいわ。」

と言うと、調子に乗ってからかい始めた(笑)

「うん、京女だもん♪ 京都大の理学部って、ダサい人ばかりじゃないー? 『イカ京』とか言うでしょ・・・狂人大でしょ! 」

私「それ、まさに私が京都大の中で言われましたよ(^_^;) 」

そういえば、京都女子大学 って、狂女大 って言われてるの聞いたことないわ。(名誉毀損で訴えられそう(^^;; )

ところが、先日は、真逆だった。

私以外が、ほとんど人間・環境学のメンバーで、理学が私だけという珍しい状況になったのだが。

学部も院も京都大出身で、人間環境学研究科の教員と話す機会に恵まれたのだが、

話し始めると共に

「理学部って一番変わってるって昔から言われてるよね? 『イカ京』が一番多いって・・・」

と言うので上の出来事をすぐに思い出して笑ってしまった。

私「あ、私、M1の時、イカ京No. 1って研究室一同に認められましたよ!(笑)」

「え? 君は全然そんなことないと思うけど・・・?」

←一応ですが、彼とは初対面なので

周りの複数人「ええ?そんなことないと思うよ? 」と「ありさイカ京No. 1説」否定。

彼らのほとんどは、この日初対面だったのだけど、私のことを一回生から知ってる先生も否定してた。

私のなんらかの一般人とは違う性質が露呈した時、

「いかにも京大生」「京大生らしいね」「さすが京都大に相応しい人」と言われてきたけど、

近年では、理学の先生が、

「長年、学生、教員として京都大にいて、他の大学にもいたけど、あなたほど極端に変わった学生を見たことがない。驚愕した。でも、

そこまで変わっている、って素晴らしいこと!

世間一般では変わっている人々から、『本当に変わっている』『変態』『ぶっ飛んでる』って言われるなんて、羨ましい!!

Minority advantageを誇りなさい!」

だって。(^^;; 

→「変態 」は褒め言葉?  

「先生も変態じゃないですか?

学生の私以上でしょ?狂人大学の狂員だから(笑)」

と極上の褒め言葉のつもりで言い返したら、

真面目に「変態、というのは、普段、普通に使うと基本的にはネガティヴな意味なんですよ。生物学用語ではそうではないけど。」だって(笑)

さすがに近年、一般的な概念がわからないことが多いと自分でもわかってきたけど、

『普通』に考えて、対応してるつもりなのだけどね・・・

まあ、こんな内容のことを笑いながら話せるようになったのも、京都の環境、学業、友達のおかげで、私のトラウマが大分癒えて、精神が大分安定してきて、人間らしくなったおかげでしょうか。

京都大に入学してから、講義、演習、教員・学生との関わりの中で

何度も「生きてて良かった」と強く思ったものです。

だから、研究室で、たった一人の教員と、1つ目のあるテーマでうまく行かなくたって、この学校を去ることなんてとてもとても出来ませんでした。

ここに来たことが失敗だった、後悔している、と言って去っていった先輩たちは、私に、理論系で平衡統計物理かスピンフラストレーション系の研究が有名な他の大学の研究室へ移るように、自分ならここの博士課程には絶対残らない、とM2の時に強く勧めたのですが。

確かに、理論系、平衡系がメインの統計物理学、三角格子系スピンフラストレーション、が全て揃っている研究室は、京都大にはありません。研究の内容だけなら、幾つかの他の大学の研究室の方が相応しいでしょう。

でも、大学院生活って、自分の研究テーマだけじゃないはずです。昔、学校で非常に孤独な上、教育者たちに全てを否定され絶望感に満ち溢れていた私は、痛感するのです。

だから、私は、副指導教員や学部から信頼してきた先生に、伝えたよ。「この教室で、本当に楽しかったことがたくさんあって、信頼してる人々もいて、とても幸せだった。だから、私は、まだここで教育を受け続けたいと思うから、指導教員や分科を変えるのは仕方ないとしても、ここを離れたくないです」

そして、心から、私が京都の博士課程にとどまってほしい、私の教育を今後もしたい、一緒に研究をしたい、って言ってくださった教員がいて、本当にありがたい限りです。