A-LeroyのQueerなΨ難日記

Beauneへ行きたいA-のΨ難とかクィアなセクシャリティーとか

ちょっと不安定になってしまった

本当に本当に久しぶりなのだが、過去のことが私の現在の心境に作用して気分が揺さぶられ不安定状態になっている。どうも何にも集中できなくて、かといって雑用もする気にならなくて困ったものだ。私って今でも精神的に弱すぎるなぁ(>_<)

きっかけは、最近の2つの出来事で、

最近のPf のレッスンで、J.S.Bachのある曲を「これは、ぜひチェンバロで弾いてみてください!チェンバロの方が良いと思います」と今までにないほど強く指導の先生が仰ったことと

それから、家のピアノがまたまた不調になって、調律師とあるやりとりをしたこと。

用事があったので、母と電話で話をして、上記の2点を話しているうちに

過去の話になった。

新中2の時に、当時の指導者がチェンバロに転向したらどうか、と勧めたことがあって、

当時の私は、バロックが嫌いだったし、チェンバロの音が好きでなかったし、

何より、とにかくピアノに異常なほど拘っていたので、(研究室入ってからの自由エネルギーよりはるかに強いものだった!)その勧めをさらっと受け流し、家に帰ってから激怒していた。

「あの時、チェンバロに転向して、チェンバロ主専攻、ピアノ副専攻にすれば良かったのに」

という話になったのだ。

この話は、自分自身が思ったことでもあるのだが、研究室で幸せに生活して、「自由エネルギー」「スピンフラストレーション」「三角格子系」「相転移」に夢中になってからは完全に忘れられたと思っていたのに……

すぐに「もう、そういうことは言わない、って決めたから言わないよ。京都の先生に約束したんだから! 」と言ったし、本当に本当に心からそう思うのだが、だったら、この気分は何故だろうか?? 

理学部には副専攻なんてないけど、他校でチェンバロが副専攻だった人に、

「私、今の学校に副専攻あったら、チェンバロやりたいな」と冗談で言ったことはあるけどさ。

一応ですが。私、「先生」って呼びかけは、=”My dear “ と思っているので、三人称では

敢えて「指導者」とか「指導教員」とか書くことがあります。三人称で「先生」と書く時は、その人に対して”Dear,・・・“ という感情が入ってます。

立場上、そう呼ぶしかなかったので、二人称ではい「~先生」って呼んできましたが。

知り合いに、子供の時から学校の教員志望で、その理由が、ものごころついた時からいつも「先生」が大好きで、「先生」と「クラスメート」にはいつも恵まれていた、嫌な思いをしたことがない、という人がいる。

彼女の人間性がそうさせている可能性もあるが、本当に羨ましいと思ってる。高校では、多少は雑談も出来る先生もいたし、授業が良い、教育熱心で良い、から好きと思った教員はいたけど、彼らを私の「友達」だとなんて思ったことがない。

私は、今の学校に来て人生で初めて「先生」に「親愛なる感情」を感じたから!

今すぐ私の先生に会って、相転移の話や他の固体物理の話を出来るのなら、それだけで私の幸せ関数は極値(Local Maxですが) で安定するのに!