A-LeroyのQueerなΨ難日記

Beauneへ行きたいA-のΨ難とかクィアなセクシャリティーとか

学業で不幸になる状況

私が、京都に来る前の時代を本当に嫌悪している理由は、一言でいうなら

「学業で不幸になる」

状態だったからだろう。

「学業やってるからとっても幸せ!」

という今と真逆な状態。

今ですら、今ここにいる私がそのまま継続するのなら、京都以前の記憶だけを消したいと心から思う。

京都に来てからも、私の極めて珍しいといわれる特性によって、もちろん孤独感を感じたり、違和感を感じて不快なことはあったけど、学校は本当に楽しいし、私を尊重して傍にいてくれる友達がいたから大丈夫だった。

過去の記憶がない私が、京都に来て、普通に化学統計力学、物性物理に出会ってたら、って時々強く思う。

もちろん、高校ではクラス内に友達はいたし、普通に授業の質問をしたりちょっとなら雑談も話せる教師もいたし、家族と旅行に出かけたりして楽しい思い出もあるのだが。

ただ、高2まで特定の大学の特定の学科への入学に拘りすぎて、中学も高校もその大学に進学するための資格を得るためでしかなかった。

たまたま高校が理系重視で、とにかく「自由の校風が良い!」と昔から思っていた私は、今の学校への進学を決心したのだが。(いや、はっきり言って、もともとの憧れの大学は、絶望的だったので。合格点に達するかどうかじゃなくて、マトモに受験を終えることが。)

あとは、小中学で常に人間関係で苦労し、イジメられたり、孤立してきたので、誰にも構ってもらえず孤立することを非常に恐れていた。

高校では友達がいて、上位進学クラスに入れば、宿題を一緒に相談しあいながらすることも多く、

何かと交流がもてるし、下位のクラスの友達にはちょっと尊敬される。何も特技がないし、ルックスもイマイチで、付き合いが下手な私には、上位クラスにとどまること以外に「良い意味で注目される方法」が、本当に何もなかった。

化学は好きだったし、化学だけはクラスで成績が良かったので、私を頼って聞いてくる友達がいて、それは、当時の私にとっては超重要なことだった。

そんなわけで、音楽の勉強に専念は出来ず、高校の理系受験向けの勉強には手を抜けなかった。

(理科だけは、好きだから、楽しいから、勉強してましたが)

興味や好みが非常に偏ってたので、とにかく必修が少ない学校が良い、校則がいろいろ煩いのもウザい、大学って専門的な勉強するために進学するのに、あれこれ必修とか耐えられない!

というのが京都進学の直接的な理由だったが、

もしかしたら、潜在的には、

心から自由に好きで楽しい勉強をして幸せになりたい、今の状況と自分の過去から《自由になりたい》 と思って、「自由の校風」の学校を選んだのではないかと思う。

過去のことといえば、例えば、クラシック音楽のピアノコンサートへ行くと、本当に酷い精神状況に陥った。

素晴らしい演奏は、その瞬間は感動させるのに、彼らへの強すぎる憧れは、その後に私を絶望的にさせて苦しめた。

「私は、本当にどうしようもない生徒だ。私もあのようになりたい」と泣き続けて、翌日は一日家から一歩も出られず何もできない状況に陥った。

最近ですら、何かで刺激されると、劣等感とか、どこか入学が現実的な大学を選んで音楽を勉強し続けてたら、

諦めなかったら、とかバカバカしいことを思ってしまう。

どうしたら良いのだろうか?

覚えたいことはすぐに忘れるのに、こういうことだけは絶対忘れないんだなーー