A-LeroyのQueerなΨ難日記

Beauneへ行きたいA-のΨ難とかクィアなセクシャリティーとか

失恋歌に共感して

やれやれ、

Ψ近の金曜日、母のススメで

倉橋ルイ子さんのライブに出かけてきた。

彼女の歌は、ほとんどが「バラード」と呼ばれる失恋に関する歌であり、

私の友達はよくご存知のように、

私は、「恋愛の概念」が「理解」

できていないようで、

親友曰く、

私の恋愛の感性(概念・認識?)は、

完全に欠如しているか、

存在していても

「普通」と比較すると大きくズレている、

とのことらしい、

やれやれ。

(私が通っている

学術研究にかなり精力的な大学院ですら、

私にとっては、正直、「恋愛一色」と感じる、やれやれ。

多くの学生にとって、

統計物理学や数理物理学あたりの

話題よりは

恋愛の話の方が盛り上がると思う、

私からすれば、今の学校の学生の

約9割が鳥塚と夢原的体質であるとすら感じる、

やれやれ。)

しかし、彼女の歌に変に共感して

聴き入ってしまったな、やれやれ。

それらの失恋関係の歌を聴きながら、

私は想いを馳せた……やれやれ、

過去にある一時期、傍にいて私は彼らを

「好き」だったが、今は全く連絡すら出来ない「彼ら」や、もうすぐ卒業とともに別れるだろう「彼ら」、

さらには、

過去に一時期、「愛していた」ようで、

挫折をした学問分野へーーー

「もう会えないのに 『またね』と

言って別れた♪」

と歌詞にあったが、

私も、卒業後に

もう会えないだろう彼らに感謝を伝えて

「またね」

と言って別れるのだろうーーー

「出会いがあれば別れがある、

出会いは別れの始まり」という表現があるが、

例えば、

今年入ってからは、

私は、古典音楽や化学と「別れ」

前の研究室と「別れ」て、

量子スピン系の物性基礎に

「出会った」……

さらに、

大学院の研究と「別れて」

新しい学問分野に「出会った」が……

そうは言っても淋しい……やれやれ。

Last Friday, 

I turned out for the Live of Ruiko Kurahashi, who is a singer.

Although her songs are almost concerning Romance, especially, unrequited romance, 

and as you know well, 

I have not understood the concept of “Romance”, 

I identified with her songs in some points, oh my god.

Listening her Live, I had felt so heartrending and lonesome thinking of those people and 

those academic fields, 

casting my mind to the several conversations I had with “them” —————

On the coming day,

I will say “Thank you, see you again.” with smile as it used to ........oh god grief.

There is a saying, 

"If there is a meeting, there is also a parting."

I identify with it, 

however I feel so lonesome thinking of coming my graduation

oh my god .