A-LeroyのQueerなΨ難日記

Beauneへ行きたいA-のΨ難とかクィアなセクシャリティーとか

第41χ 愛と依存のΨ難2

 

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(やれやれ、前χの続きである)

 


やれやれ、

私が、ある学問そのものに加えて、その分野の

教師(特に研究の指導教員など)に異常なほど入れ込んで依存してしまうのは、私の子供時代(大学の学部以前という意味)の教育機関と教育者によるトラウマに由来すると私自身は思う、

やれやれだ。

 


子供時代、私は、学校では「教育者」にいつもいつもΨ三、否定的なことばかり言われ気分を落とされていた、やれやれ。


子供時代、私は「先生」という人に褒められた記憶がない……やれやれ。

 


今振り返ると、

子供時代の私は、その「教育者」を「絶対神」のように崇拝して盲目的に愛していたように思う。

実際、その教育者は学術や実技の点で優れており、学科の内容や教え方の分かりやすさにおいても尊敬をしていたが、単純にそれだけでないと思うーーやれやれ。

 

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子供時代の私は、

その「先生」= 「絶対神」がいつもは否定的なことを言い、罵倒さえもされたが、ごくたまに「以前は酷かったが、今はやっと【普通】になった」

と褒めると、その時は「私が褒められた‼️」という異常な高揚感、言い換えると、エクスタシーに達するとはこういうことか?と思える気分であった、やれやれ。

 


一方で、大学以降、

母校では複数の先生方が優しく教えてくださり、励まし、質問するだけで私を褒めてくださる、やれやれ。

 


であるからして、

学部以降の私が教育的な上にフレンドリーな先生方に思い入れが強くなり、入れ込んでしまうのは容易く時間のいらないことであった、やれやれ。

 

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であるからして、

学科の内容で親切なだけでなく、

私を励まし愛し、そして、

やがて友人同士になり、学術研究だけでなく雑談をたくさんして一緒に食事をして、イベントに出かけて・・・

あらゆる場面で楽しい時間を共有した

先生方に私がものすごく入れ込んでしまい、特別な感情を抱くのは当然のことであると思う、やれやれ。

 


であるからして、

 


そういった先生方を信じて付き従って行き、その分野で一緒に研究、というのはその時は自然だったと思う、やれやれ。

 


しかしながら、

 


Ψ近、ついに私は自覚したらしい、

自分自身の学術的傾向をー

つまり、

私は、理論的研究(化学、物理学のような「実験科学」も含む、というのも、ここでは、「研究者が実験観測をしないような任意の研究」という意味で使う)

においては、厳密な議論を嗜好することをー

さらには、議論に厳密性が無ければ、納得できず

違和感があり気持ちが悪くて仕方ない、

という性質をー

やれやれ。

 


(なお、ここでは、実験的研究に関しては言及しない。実Ψ、私は、化学の実験に挫折をしたし、実験観測との対応があるタイプの研究に挫折したし、物性物理学の実験的研究に関しては、私が進路として希望したにも関わらず、複数の物理学者に可能性すら否定されてきたのだから、やれやれ。)

 


こんな子供時代のトラウマや劣等感を持つ私が、親切でフレンドリーな先生にすぐに入れ込んで「依存して」しまうのは仕方ないと思う思う、やれやれ。

(研究上で依存、というよりは、精神的な依存である、念のため)

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最近、やっと、

今後は教員や共著者とは距離を保たないと、

目下取り組む学問分野の少数の「先生」に入れ込むのは避けよう、

と意識しますが、

それでも、すぐに信用して、入れ込んで、

「依存して」しまうのですよ……本当に仕方ない、避けたいのに、

やれやれ。

 


( This update is the sequel of the last update, oh good grief)

 


Oh my god, my abnormal “addiction” to teachers (supervisors) seems to stem from my traumatic experience about learning and teachers in my childhood (before my undergraduate), oh my god.

 


In my childhood, I had always discouraged by negative words by educators in school or some educational places, oh my god.

 


I “adored” the Educator as god, although I was always discouraged, oh my god.

I used to get “ecstatic” if the educator praised me “you had been so bad, however now you got standard level”.

 


On the other side, 

since my undergraduate, 

in my alma mater, some teachers encouraged and evaluated greatly, 

 


therefore, 

 


it had been so easy to be absolutely taken up by educators who encouraged and loved me, 

 


therefore,

I had believed and followed them at that time,

 


however.....

 


at last I got aware of my instinct, so that my academic interest and  palatability, oh my god.

 


I seem to relish for exactness in theoretical disciplines, oh god grief.

( I will not refer to experimental disciplines, just because actually I have frustrated in experimental chemistry, and I was denied my hope to study experimental physics completely, oh my god)

 

 

 

Oh my god, it’s natural that my being, who have that trauma and totally naked about encouragement, praise, and LOVE by educators, 

have been taken up by kind and friendly educators so quickly and easily,isn’t it?