A-LeroyのQueerなΨ難日記

Beauneへ行きたいA-のΨ難とかクィアなセクシャリティーとか

年末年始、物思いに耽って・・・

年末年始に思ったことをとりとめもなくメモ程度に書いていきます。

私の年末年始は、実家の引越し作業の手伝いで前の自宅のコンドミニアム(笑)にまだまだまーだ大量に残った荷物、小型・大型の家具、母親の音楽道具などを整理整頓して、選り分けて、バッグに詰め込んでは新しい自宅へ運ぶ、またそれを整理して配置することの繰り返しです。

(condominium「 分譲マンションの一戸」ですね、「マンション」とは言いたくない、かといって「アパート」だと日本人的にはおかしいらしい。かなり誤解を招きやすい言葉なので、私は「マンション」はあんまり使いたくないのです。)

母親は、非常に煩い祖父の世話を

waiting on him hand and foot (単熟語帳で見たのですが、まさに、「常に近くにいて、24時間体制で、何から何まで!」

 という感じが表れていてぴったりの言葉だと私は思いました。)

でやり、さらに、受験生を暮れも正月もなく教えております。その合間に、二人で上記の作業をしていますが、なかなか減る感じがありません・・・

私は、ヘマばかりするし、力もなくて、役に立てなくて悪いなぁと心から思うのですが、やはり、自分の学業を完全に犠牲にはしたくないというのも正直なところなんです…>_<…

年明けに帰京したらすぐにピアノのレッスンもありますし、英検の勉強もしたいし……

母は、私の英語の話にhave it up to here with (にはうんざりだ)でしょうね(^^;;

そんなことをしている間に、あっという間に三が日も終わりそうです。

祖母が元気だった時は、暮れとお正月モード満載で、家には綺麗なお正月飾りがあって、綺麗で美味しい御節料理が並び、私は美味しいお雑煮をお代わりして、みんなで初詣も行ったのに・・・

古い部屋で私の子供時代のものを見て、過去の将来の夢を無邪気に宣言しているものを見ると非常に悲しくなります。そして、かつてのクラスメートの複数が、その時に宣言した職業に就き、既に夢を叶えていることも思うと余計に・・・

祖母が買ってくれたピアノも新しい我が家に戻ってきました。祖母は、クラシック音楽が大好きで、私がクラシック音楽の勉強を始めたのも間違いなく祖母の影響ですから、このピアノを弾くと余計に切なくなりました。祖母は、私が子供の頃の進路希望・夢への努力を一貫して続けて欲しかったと思います。(祖母は、ワインどころか、お酒は全く飲まないし、化学・物理も全く興味なしでしたから) 

そういえば、当時の私は、F.Lizstが一番好きで、課題になっている曲の中では、J.S.Bachの曲は、ダントツ苦手で、曲自体も好きではありませんでした。

私は、J.S.Bachのポリフォニーの作品の勉強を課題だからと「勉強の為に」しぶしぶやっていたら、

祖母は、「でも やぁっっぱり、最後は、J.S.Bachに辿り着く、って聞くよ。おばあちゃんは、ベートーベンが好きだけど。メンデルスゾーンモーツアルトも好き」と良く言っているのも思い出されます。まさに、予言通りか!私は、J.S.Bachのフーガの技法に辿り着くでしょう。

それから、小学校時代、いじめのことを愚痴っている日記も見つかりました・・・私は、担任とクラスメートのダブルいじめにあい、不登校児でした。

人生初の「親友」と思ってた人との交換日記も……彼女の描いた(今見ても「上手」と思える!)可愛らしい絵がたくさん目に付きました( ; ; )

それから、「一番好き!」と追いかけていた、憧れていたクラスメートについて書いた日記みたいなもの。好きの理由が、今、他者に「ありりん が(恋愛的に見れる可能性のある)タイプ ってどんな人?」って聞いた時に、実際にはそ漠然とも概念はないけど、まあ、この条件は満たしているでしょ?とその場の思いつきで適当に言っているものとびっくりするほど似ていた。大人になっても、「恋愛という概念がわからない」と論じていても、根本的な指向は子供時代から変わってないのか。

最近は、「neutralでカッコいい」というのが付け加わるけど。

そうそう。話は脱線するけど、子供時代の知り合いの結婚話、英検のトピックとしての「結婚」「性」、さらに、家庭内、職業や教育機関での性差別が登場するような伝記物、ドキュメンタリーものを読んでいて、またまた言いたくなった。

私、どうも「仕事辞めたいから結婚した」と言ってhouse person(wife or husband)になるいう概念がまるで共感不能である。 そして、極めて不思議なことに、私より大分年上の方の場合、全て該当者が日本人女性なのである。もちろん、アメリカなどにいて、仕方なく残念ながら相方と一緒にいるならば、それしか選ぶ道がなかった、という人も知っているけど。

また、house husbandがhouse wifeと同じ数存在して、許しがたい偏見・差別・教育や就職などの機会の性選択制(性別による不条理な事象) が過去や現在の世界に全くないのならば、そんなことを意識しなかっただろうけど。

昔の貴族とか上流階級の、きちんとした教育が受けられる階級の女性の話って酷すぎて、読むに堪えないわ。もちろん、性に関する差別だけじゃないけど、それが目立つ。

私が、もしその時代に生まれていたら、まず間違いなく上に反逆してその場で殺られるか、政治犯になって強制収容所で死んでいただろうな、

って本当によく思う。私、とっても弱いし、頭も悪いし。

実際、北朝鮮パキスタンなどでは今でもこんな状況のようだけど。

もしくは、万が一本当に万が一上手くいけば、時代を変えた先駆者として名を残すか、ノーベル平和賞受賞者? 

ってよく思う。あ、こんな話でたのは、もともと意識強いのは事実だけど、つい最近も身近な人とそんな話になったのと英検一級の小論文で、「男性の育児休暇 childcare leave」「人権」「性差別」などなどの話題が良く出てくるから(^^;; 

それよりは、

もともとお金持ちだし、働くの嫌いだから、夫婦でダラダラしてまーす!  

とか、

相方の仕事を一緒にやってみたいので、今の仕事はとりあえず辞めますよ~

の方がどうも共感できる。

自分もやりたいことあるけど、その専門に関わる仕事を続けたいけど、相方の仕事手伝ってたら、落ち着いたら自分の仕事するつもりたったのに、それがなかなか出来なくなって月日が経って・・・っていう人だっているのに・・・( ; ; )

話戻ります。続き。

当時は、そのクラスメートを他の友達とは違う感情で、「恋愛的な対象で好き」と思っていた気がしたけど、「一番は、二番は、三番は、あとは・・・」とスラスラと言ってバレンタインにバッチリ差をつけてお菓子をあげていた時点で違うらしい(笑)。一応だけど、その一番のクラスメートは少年ですよ。

でも、この時期のバレンタインデーは無邪気だった。 中学高校時代は、持っていかないと、あげないと、1日完全にクラスで浮いてしまう、相手にしてもらえない、私からあげたら、「ありがとう」って言ってもらえる、話のきっかけを作れる、という理由であげていた人も多かったので。 まあ、中学よりは高校の方が、状況は大分マシでしたけど。

ちなみにその二番目に、かつては仲良く遊んでいたのに、そのことで反感を買ったのか?短期間とはいえイジメにあいました。(こちらのイジメは、すぐに解決したので、不登校にはならずに済みましたが)  

そして、自分でもとても不思議なことに、

祖母が亡くなった事象を除けば、全体的には一年前のこの時期以上に切なくて哀しくてなんとなく暗い気分の年末年始なのです。間違いなく、あのことが作用しています。

母親が制作に関わっている(作詞、作曲など)いくつかの歌を聴くと、どうやら「恋愛的な関係であった人と関係が変わり、別れるしかなくて・・・」というsituationのようなのですが、私は、どうしても研究室の事象と重なってしまいます。4回生の晩秋、院入試終わって、セミナーと輪読が楽しくて仕方がない時期と今を重ねて・・・

明るい気分で期待で胸いっぱいのM1の春と、今年の 晩秋 を重ねて・・・

自由になったら、余計に物哀しく寂しくなってしまった。

こうして書いていたら、帰省直前をつい思い出してしまった・・・

学部一回生からお世話になっている(今のメンバーで一番古い知り合い)准教授の先生は、数時間に渡って、終電ギリギリの時間まで真剣に私の告白や関連する話を聴いて、今後、研究を続ける上でのアドバイスや彼の研究・教育に関する有益なお話をして下さりました。

重要人物たちに「告白」は一通りしました。

ある先輩は、「え? 研究と指導者変わっても、同じ教室内で近いでしょ。漫画読みに来ればいーじゃん?何がそんなに問題なの?」とあっさり。

すごく嬉しかった。何気ないあっさりした言葉だったけど、私の心に深く染み入って残っているーーー

でも、「淋しい、淋しい、やっぱり淋しいの!!

    (T . T) 」と部屋で独り言叫んでたら、

「うーん、まあ、(B4~D1)時間が長かったからねぇ。」と。

年明けの帰京はいっそう淋しいなぁ。