人生における「失敗」
indelible 消すことができないEx. Although the tragedy occurred in childhood,its effects were indelible.
こんな例文にいちいち感傷的になって、自分の過去を思い出してしまうのが、試験直前の今では面倒くさくて時間の浪費になって嫌になるが、私が私であり、私の記憶や精神がマトモな限り、まあどうしようもないだろう。特に、最近は、引越しの荷作りで、あの酷く辛く孤独な子供時代に関連するものを見つけ出すことが多かったからーーー
まさに、My traumatic experiences in my childhood are INDELIBLE なんだから!
さらにさらに。
debacle 大失敗
colossal blunder 大失敗
という単語を、それも人生の失敗に関するようなことで使っていたのを見かけた。この言葉の意味を完全に覚えたのはいいが、今後、この言葉を見るたびに嫌なことを思い出しそうだ………( ; ; )
そういえば、昨年度末までいらした先輩へ例の「告白」したのだが、そのお返事を頂いた。
彼は、D4までいらして、投稿論文も複数あったが、それでも非常に苦労なさって、遂には学位を取得せずにここを去ってしまった……
彼のメール文を拝読して、残念で哀しくて気の毒で胸が痛む。
「長らくここに留まったのは『失敗』でした」という文が頭から離れない……
先生の指導云々より、(研究室内での) 相性や人間関係、研究テーマの重なり具合などがはるかに重要と……確かに、私以外のみんなは、少なくとも論文か出てるメンバーたちは、先輩と近い研究テーマで、先輩から研究の内容や手段を非常に詳細に教えてもらえて、一緒に共著論文やポスターを書いている……
それなのに、最後の最後まで後輩思いで、いつも後輩に優しくて楽しくて、ものすごく教育的で尽くしてくれた先輩の一人だ。
私は、私は……
この数年間が「失敗」とは決して言わないだろう。その時は、その道しか考えられなかったんだから。自分の自由な意思で、確かにこの方向を選んだのだから。
普通の子供たちが大学に入る以前に学校生活で体験する人間的な関わり、遊びや楽しみや喜びを、私は研究室に入って初めて体験してきたように思う。
学校の先生に褒めてもらえるようになったのも励ましてもらえるようになったのも可愛がってもらえたのも京都の学部に入ってから。 本当は、子供時代に先生に褒めてもらいたかったし励ましてもらいたかったし可愛がられたかった…… もちろんその為に勉強してたわけではないが。
少なくとも「大学院でやるような専門的な学業は、まさに自分自身が最高に幸せになるためにやっているんだ!大学院は、学生が学業で幸せになるところだ」と強く確信に至ったのは、実際にこの研究室で学生をやっていたからなのだから。
漫画で、「もし生まれ変わったら・・・」という場面がやたら多いが、そうだ、思い出した・・・
B4の時、私は、「生まれ変わるなら、また京大理学部へ入学したい。またここの先生方と出会いたい。」
と表明したことがある。
その気持ちはこんな状況の今でも全く変わらないから。(同じ研究室かどうかは???)
「◯◯大学(子供時代にまさにadore していた大学) に入学して、あの人たちを見返すことができて、過去の夢を叶えられると言っても、ここの大学院を選ぶのか?」と聞かれたことがあったが、
「うん。自由エネルギーを追究したいから…、研究室生活は間違いなく最高に幸せだから、出来るだけ長くここにいたいから、
それは、私の新しい夢だから…」と確信して答えたことも思い出してしまった……
英検一級のessayで、education に関わるテーマがやたら多いので、こんなことまで思い出して切なくなってしまったよ。