残酷な事実
前の研究室のメンバーが私の歓送会を開いてくれた。就活で忙しく出かけてる後輩が無理をして二次会に駆けつけてくれて、その二次会は夜明けまで続いた。
いつもは夜中に帰るメンバーが、
今回は無理をして朝までいてくれたのだろうーー
美味しいお酒を飲みながら、いろいろ話して、
カードゲームして・・・・・
本当に後輩たちは超かわいいの!!
ところで、ここからはかなり残念で辛い話……
その会に、学部生としてしばらく在籍していて、物理系の別の研究室に進学した後輩が来ていた。
彼は、進学先の研究室でかなり精神的に辛くなり、
しばらく全く家から出られなくなりメールの返信すらできない状況に陥っていたようで、今は精神病院に通院をしているとのこと。
彼の副指導教員は、かつての私の理学部クラス担任であった。
指導教員に問題があったので、副指導教員に相談したが、その副指導教員はさらに問題な対応で、副指導教員には相談しない方がはるかに良かった、
「副指導教員には虐められた」とすら……
私が、その教員は私が学部時代に少し関わっただけで問題を感じたし、私もdiscourage された、と話したところ、
後輩は、「それくらいの関わりじゃあの人(彼の副指導教員)の本質は分かるわけがないよ。大学院に入って近くにいると、もう酷いんだから……」と。
後輩は、
「そちらは、(この場では研究が上手くいかず挫折して)他の研究室とか他所の学校、会社に送り出すことはあっても、さすがに、精神病院に何人も送り出すことはないでしょ?
自分の指導教員、副指導教員の研究室は精神病院に何人も送り出してるから。」
(「他の研究室」というのは、まさに私のパターンで、少し上の先輩方が立ち続けに他所の学校、会社へ・・・)
さらに、後輩が以下のように言っていた、とても暗い気分で憂鬱そうに。
【同じ研究室に優秀な同級生(客観的に見てもかなり特殊な学生だと思う)がいて、
その人は指導教員からテーマを与えてもらったら、指導教員がほとんど指導しなくてもやっていってる
一方でこのような悲惨な状況の自分がいる
現実にそのような同級生がいるのだから、自分の研究の状況は指導教員のせいにはできない
自分には才能がない、才能がないから今後も研究を続けるかどうかもよく考えないといけない
先輩たちはよく言っている、
修士課程はともかく、博士課程になったら、次のことを考えないといけない
好きなことを続けながら、安定や余裕はなくとも普通に生活をしていければいい、
というのは、夢を見過ぎ……現実をみなさい
業績がなかったら続けられないのだから】
私の反論
【同じ研究室に優秀な同級生がいて、
その人は指導教員からテーマを与えてもらったら指導教員がほとんど指導しなくてもやっていってる
(→そんなことはありえない、と私は思う。
程度の問題だろう。その学生が要領が良く効率的で器用であることは事実だと認めるとして。
また、学生が比較的能力があり効率的であることは確実だとしても、その本人は全て独力でやっていると思い込んでいて、実際には教員がかなり指導し関わっているということはあると、教員側から何度か聞いた。 そして、そういった学生が、教員との共著論文を自分独りで書いたと思い込んでいて、勝手に投稿するのも平気でやってのけたと……)
現実にそのような同級生がいるのだから、自分の研究の状況は指導教員のせいにはできない
(→ 《指導教員側からすれば、それは単なる指導の放棄の言い訳だ!》
各個体全て性質が違うのだから、その個人に応じた教育をすべきで、その責任があるはずだ。もちろんできないことだってあるけれど、指導教員になったからには、教育をしようと努力すべきだ)
自分には才能がない、
(→学業は、才能がある人だけのものじゃない!
私たち全ての人が、学業をやって幸せになる権利がある!!!)
先輩たちはよく言っている、
修士課程はともかく、博士課程になったら、次のことを考えないといけない
好きなことを続けながら、安定や余裕はなくとも普通に生活をしていければいい、
というのは、夢を見過ぎ……現実をみなさい
業績がなかったら続けられないのだから
(→「諦めたら、それですべて終わりですよ。
諦めたらダメなんです。その人たちにとっては、諦めて破れるから『夢』なんじゃない?
さらに言えば、
『現実を見ろ』?
私ならその先輩方にこう言い返すね………
「だから、研究で、物理学を通して『現実』を観てるじゃないか! 『現実』は、今、ここで、研究している自分の存在だけ……なぜ、私が今ここに存在して、目前にやることがあるのに、わざわざエネルギーを使って別様の自分を仮定しないといけないの? ?私が私であって、ここにいるから研究やってるんだ!それが『現実』であって、私はそれを認識する程度の知能はあるつもりだ。
そんなこと考えたり、それを後輩に言う暇あったら、自分自身の研究やったら?」
理論物理学の研究の世界に限るならば、17年間PDを続けた人を知ってます。彼は、研究だけでなくて、病気になったり、環境の変動に苦労したり、その分野の権威者に全否定されて研究を辞めるようにとすら言われてきたけれど、諦めずに続けたんだよ。
世間は「結婚」の話をよくするけど、彼は、結婚もしてるよ。(私の意見としては、日本の一般的な結婚生活では、片方が(あるいは両方が)PD17年続けてその間世界中あちこち行く、というのは成立が難しいというのは理解する。
けれど人類の個体数は多いのだから、結婚相手としてその相方の生き方と合わないなら、お互い他を探せばいい。私は、自分が自分として幸せに生きるための最優先は学業である! )
私の非常に尊敬する大先輩はいつも言ってますよ、
「どんな夢も諦めなければいつかは必ず叶う。その夢の実現が難しいそうならば、そうであるほど、諦めないというだけで夢に近づいている。努力は必ず報われる」と。
何れにせよ、そちらの研究室の教員は、
貴方や精神病院に行った貴方の先輩たちのことを考えて、今後を変えていくべきであり、
成功している学生のことだけを見ていて、
過去を振り返らず反省をしないというなら、
教育機関として失格だ。
私は、
「とにかく諦めないこと。」
「すべての学生が、教育を受けて研究で幸せになる権利がある。これは、個人の才能の有無とは独立事象である」
そして、何より、修士課程の学業より
【治療を最優先するように。】
「本当にお大事にね……」
と伝えた。
余談だが、彼は、幼い頃から母親と二人でいて、親からヴァイオリンの勉強をずっと押し付けられていて。さらに他にも親にいろいろ問題があったようで・・・中学高校は、「親と距離を置きたい」という理由で寮生活、そして、大学も地元を離れて京都大へ。(「今でこそ、ヴァイオリンに少し興味があるし、またやってみたいとも思う……けれど、高校までは完全に親に押し付けられてた。だから、中学から寮生活を選んだ。もちろん、ヴァイオリンですごく憧れる先輩がいて、同じ曲を必死で勉強したことがあり、それは今でもいい経験だったと思うけど」と彼が語る)
彼も、京都大に来る前、「学業で不幸だった」と言えるだろう。彼の場合は、ヴァイオリンの指導者や関わった先輩たちにら問題はなかったようだが、親がすごく厳しくて辛かったらしい。私の場合は、彼とは全く反対の状況で、指導者が非常に厳しくて辛いことがあったが、親には勉強に関して厳しくされたことが全く記憶にないので、「学業で不幸だった」の理由もまるでちがうけれど。
やっと、京都で、大好きでどうしても続けたいと思えるような研究に出会った彼には、どうしてもここで諦めてもらいたくない…… どうか良い方向へ向かってほしい。
院試だって妥協せず諦めないで努力をした受け続けたから、受かったんじゃないか!!
浪人中、親から
「また受けるの?他の道を考えたら?」とプレッシャーをかけられてかなりストレスだったらしい。
私たち全員で一致した意見
「大学院の『教員 』である以上、教育をすべき
だ。研究だけしたいならば、学校ではなくて、学生を採用していない研究所に行くか『研究員』をやれ。」
まあ、ごく普通のことを言ってるだけですよね。